日常 | 文字数: 4015 | コメント: 3

視覚毒

目から飛び込む毒というものが、世の中にはあるそうだ。

 電車から大勢の人間とヒューマノイドが降りてきた。白黒の雑踏の中、長い髪をおさげにして肩の前に垂らしている、背の高い女を見つけた。会社の同期である藤野紅だ。手を振ろうとしたところで、彼女の隣にもう一人、紅そっくりの女が見えた。二人同時に俺に気付いて、こちらへやって来た。
 時は2048年12月、場所は町田市の巨大ショッピングモール、南町田グランベリーパーク、その入り口である田園都市線の駅。今日は紅とその妹にパークを案内する約束をしていた。
「もしかしなくても、双子?」
 目の前に並んだ二人は、見れば見るほどそっくりだ。お下げにした髪もそうだし、切れ長の目もよく似ている。紅が左耳に、妹が右耳にピアスをしているので、鏡写しのようにも見えた。
「翠(すい)って呼んで」と紅。
「よろしくお願いします、玄(げん)さん」と、翠がたおやかに頭を下げる。翠だけが首にマフラーをしていることに気付いた。
「もしかして紅は赤い服で、翠さんは青い服?」
 と聞くと、紅がいたずらっ子のように笑う。
「ご明察」
 俺は聞かれる前に答えておく。
「目が弱くてね」
 目にかけたゴーグルを指さす。スノーボーダーがかけるようなごつい形のもので、どう見てもショッピングモールで付けるべきものではない。つけると、文字通りの意味で世の中が白黒に見え、ホログラム広告も見えなくなる。が、俺はこれなしでは外に出られないのだ。ひどい頭痛に襲われてしまう。現代の光は、俺には強すぎる。
 翠は柔らかく微笑んだ。どうやら事情は紅から聞いているらしい。
「行こうか」
 ホームに立つ世界一有名なビーグル犬の像の横を通り過ぎて、パークへ向かう。

「猫、撫でたくないですか」
 翠がそんなことを言い出したのは、パークへ入って一時間が経った頃のことだった。
 紅と翠の姉妹の性格はちっとも似ていなかった。紅は思いついたが吉日、即行動という感じで、カバンを見たい、ベーグル食べたい、キャンプ用具店があった、クロワッサン欲しい、と、ひと時もじっとしていない。
 一方翠は、暴走しがちな紅の後ろをゆっくりとした足取りで付いていくだけで、自分からは主張をしない。行きたいところはないかと聞いても「初めて見るものばかりで楽しいです」と言うばかり。というか、パークへ入ってから一滴の水も飲んでいない。冬とはいえさすがに何か飲むべきでは、と思っていたときだった。
「あの猫、かわいいです」
 と言って、翠が通路の向こうに立つ棟の三階部分を指す。ガラス窓に「猫カフェ営業中!」と書かれたポスターが見える。ポスターの中央で目を輝かせているのは、つぶらな瞳と小さな耳を持つ、イタチによく似た動物の写真。
「どう見てもフェレットに見えるんだけど」と紅。
「じゃあ正体を確かめに行こう」俺がそう言うと、翠がうれしそうにうなずく。恥ずかしくなったのか、マフラーで口元を隠した。良かった。楽しんでくれてはいるらしい。
 年末を控えた日曜日の昼下がり。パークは大勢の人と、彼らが連れてきたヒューマノイドでごった返している。ヒューマノイドの多くはパークが荷運び用にレンタルしている、剥いた卵のようにつるんとした顔の、表情のないタイプ。それに混じって、人によく似た容姿のものもいる。今では、ヒューマノイドを家族同然に愛する人も少なくない。
 どこからか悲鳴が上がった。
「慌てないで! 落ち着いて避難口へ!」
 声がしたほうを見ると、荷運び用のヒューマノイドが、機敏な動作で腕を振っている。
「火事です! 口元を覆って背を低くして!」
 とっさに周囲を見回すが、火の気どころか煙すら見えない。身動きが取れないでいると、パークの制服を着た男性が駆けてきて周囲を見回し、それから突然、ヒューマノイドの首筋を叩く。首筋の緊急停止ボタンを押されたその機械は、ゆっくりとした動作でその場に膝をつき、停止した。
「申し訳ありません! 機械の故障です。危険がないことを確認しましたので、ご安心ください!」
 係員がそう叫んだことで、周囲に気の抜けた喧騒が戻ってくる。
「かわいそうに」と紅がつぶやく。「緊急停止ボタンを押されたら、良くて長期検査。最悪スクラップだもの……」

 それから何とか通路の雑踏をかき分けて、猫カフェが入居している建物の一階にたどり着く。が、紅がいない。すると翠が苦笑しながら、建物の一角にある、ファンシーグッズ売り場を指さした。
「パンダ!」と言って、紅がぬいぐるみを掲げる。紅の背後に何かのホログラフィック広告が表示されていたが、ゴーグルのせいで何の広告かはよくわからない。何か丸っこい影が躍っているな、と思いながら、翠の方に顔を向ける。
 彼女は止まっていた。
 姉を指さした格好で。
 それから大声で叫ぶ。
「危ない!」
 翠は紅の許へ駆けつけると、その腕を取ってこちらに引っ張り始めた。
「ちょっと翠!?」
「火! 火事! わからないの?」
 翠が喚くが、火などどこにも見えない。
「何を言ってるの?」
 紅は引っ張られまいと抵抗するが、翠があまりにも強く腕を引っ張るので、徐々に引きづられていく。
 このままでは紅が危ない。
 俺は翠の背後から、彼女の首筋を隠していたマフラーを奪い取る。
 細い首筋に、薄い硝子窓がはまっていて、その奥にボタンがある。
 ヒューマノイド用の緊急停止ボタンだ。
 ガラスをたたき割ろうと手を振り上げる。
 紅が悲壮な声を上げた。
「とめないで!」
 紅が俺と翠の間に割って入ろうとして、翠は紅を引っ張ろうとして、俺は紅に突き飛ばされて、そうした錯綜した動きの結果、三人そろって床に倒れる。
 妹がいち早く立ち上がって姉を引っ張り起そうとし、力が拮抗して、姉妹二人の動きが止まる。
 考えるよりも先に身体が動く。
 俺は自分の頭からゴーグルを取って、翠の目にかけた。
「火が……消えた……」
 翠が紅の腕を離した。
 俺は、おびただしい数の照明に囲まれていることに気付く。ゴーグルを外した俺の脆い目に、ショッピングモールの灯りは強すぎる。眼球をアイスピックで突き刺すような痛みに襲われて、俺は膝をついた。

 どこからともなく電車の走行音が聞こえる。
「翠は、おばあちゃんが連れてきてくれた子でね」
 紅は小さな声で語り始めた。
 パークの片隅にある喫茶店。すでに夕食時のピークは過ぎたようで、客席は空いていた。俺はゴーグル越しに、対面の藤野紅を眺めている。
「おばあちゃんがいなくなってからは、たった一人の家族だったんだ」
「そうか」
「もともとはいわゆるロボット顔、ゆで卵みたいな顔だったんだけど、ロボット扱いされたくなくってね。初任給と遺産をつぎ込んで私そっくりにしてもらった。本当の姉妹みたいに思ってたから。……だから、助けてくれて本当にありがとう」
 そう言う紅の目に、涙が浮かんでいる。その隣で、翠が深々と頭を下げた。
 翠はあの後、“緊急停止することなく”正気を取り戻した。客の通報を受けて駆け付けた係員に事情を聞かれたりしたものの、退場などを命じられることはなかったという。むしろ、最近多発していたヒューマノイド錯乱事件の唯一の“生還者”として、事件解決の協力を求められたりしたとか。そういう、俺が気絶していた間の出来事を、今聞いた。翠が錯乱してから六時間が経っていた。
「ヒューマノイドに何らかのパターンや図形を見せて、誤作動を起こす手口、らしいです」と翠。
 『視覚毒』と仮称されているその図形は、ホログラフィック広告などに仕込まれているが、人には感知できない。が、それを見たヒューマノイドを錯乱させる、そういう効果があるものらしい。
「本当にそんなものがあるのか?」
「目隠しをしたら直った、っていうのがあの後あったらしくてね。目に関わるのは間違いなさそう」と紅。翠が補足をする。
「昔、『スマホを壊す文字』というのが流行したそうです」
「文字が?」
「その文字をメールなどで送ると、受信したスマホが壊れる。OSの設計の不備をつくもので、すぐに対策されましたが、そうした『ごく些細な刺激だけで機械を壊す方法』は今も研究されているようです」
「止めてほしいなあ」紅がため息をつく。
 同意しかない。
 と、紅がぶんぶんと首を振り始めた。
「止め止め! 犯人捜しは警察の仕事。翠が無事で済んだ。それで十分だよ」
 それからにっこり笑って
「玄、お礼させて。夕飯奢る。何でも頼んで」
 そう言ってテーブルの注文用端末を手に取る。
 すると俺ではない誰かのおなかが鳴った。
 紅だ。さんざんベーグルを食ってたくせに。
「お前こそなんか食え」
「だーいじょうぶだいじょうぶ」と言う紅の目が泳いでいる。
「お気になさらず。この子ダイエットしてて」と翠。
 すると、紅が固まった。テーブルの上の一点を凝視している。
 彼女の視線の先にあるのは、クリスマスシーズン限定商品の広告チラシ。
 モカ味のロールケーキ。丸太を模した大きなやつ。
 紅茶と合わせてもおいしそうだ。
「一日の適正カロリー、覚えてる?」
 翠が今日一番低い声で言う。
「だーいじょうぶだいじょうぶ」
 紅の手が注文ボタンに伸びる。翠の手がはっしとそれをつかんだ。
「何にも問題ない、何にも問題ない」と紅が壊れたレコーダーのように繰り返す。
「これが本当の、目に毒か」
「誰がうまいことを言えと」
 姉妹が声を合わせた。

コメント

ヒヒヒ - 2025-01-10 20:49

>なかまくらさん
コメントありがとうございます! 構成は結構考えたので、そう言っていただけてうれしいです。

>けにをさん
おっしゃる通り、人間にも“脆弱性”と言える特徴があるわけで、それなら今後、ヒューマノイドにもたくさんの脆弱性が見つかるのでは・・・・・・? なんてことを考えます。
サイトの作成ありがとうございます! すごくパワーアップしていて驚きました。まだちょっとどっちが好みかは言えないですが、ボタンの機能が直感的にわかるところは助かります。

なかまくら - 2024-12-31 16:48

終盤で紅が固まったところで、私も一瞬固まりました汗
上手い構成でした。
ハッピ―エンドで良かったです(*´꒳`*)

けにを - 2024-12-30 21:26

モカ味のロールケーキは確かに最大の視覚毒ですな!
視覚毒と言えば、ポケモンのアニメを思い出します。
テレビ画面でピカチュウが強く光ったせいで、
たしか子供達にとある病気を発症させたように記憶しています。
そんなこともあるもんなんだな、と驚きました。それ以降、確か規制が厳しくなったはず。
あと、なんだっけ、ファイトクラブって映画の中の1コマに、とある卑猥な絵をいれることで、人間に、視聴者に、興奮させる効果を与えたという。えっとサブリミナル効果でしたっけ。ある意味、毒ですね。
人間にもあるくらいなので、AIにも、そういったバグやエラーを発生させるコードなりを読み込ませて、おかしくさせることもあり得そうですね。世の中のハッカーも、プログラムの穴、脆弱性を突いて、盗み出すのだから、ある意味、システムに視覚毒を与えて、壊しているのことに違いなさそうです。
あと、最初から止まらずに、読み返さずに、最後まで一気に読める文章でした。このようなユーザーフレンドリーな文章は、ストレスを感じさせず、素敵です。

ちなみに、小説の入力の書き心地はいかがだったでしょうか。
祭り専用の小説の書き込みフィールドとは少し異なる作りにしています。どちらが好みかな。
ユーザーフレンドリーにしたくて、試行錯誤です。