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やっぱマクドのフィレオやで!

2024年の初頭。

大阪市平野区の長吉公園のベンチで、マクド(注:大阪ではマクドナルドをマクドという)のフィレオフィッシュセットを広げる。木枯らしが吹き抜けるたび、冷めかけたポテトの匂いが鼻をかすめる。くすんだ赤と紺の縞模様の毛編みニット帽を被り、色褪せたジーンズに古びた紺色のジャンパーを着たかにをは、また溜め息をつく。

かにをという名前は、昔から参加している短篇小説の同好会でのニックネームだ。「カニの爪のように執着心が強い」と言われたことから、仲間内で「かにを」と呼ばれるようになった。今では本名よりもこの名前の方が馴染みがある。

かにをは、どこにでもいるような家庭で育った。父は市役所勤め、母は専業主婦。兄弟は姉が一人。成績は中の上、運動も人並み。まさに「普通」という言葉がぴったりの少年時代を過ごした。

大学も、難関とは言えないが、それなりの公立大学に進学。就職活動では、大手とまではいかないが、安定した中堅企業に入社。給料は悪くない。残業も少なく、世間から見れば恵まれた環境だった。

ただ、それだけだった。

入社以来、ずっと経理部の片隅。慢性的な鼻炎に悩まされ、花粉の季節になると目も充血して、営業や企画といった華やかな部署への異動試験も受けられなかった。だが、それは表向きの理由に過ぎない。

本当の問題は、私の性格にあった。

よく言えば実直、悪く言えば融通の利かない石頭。世間では「誠実」という言葉で片付けられそうな性分が、会社という場所では致命的な欠陥になっていた。必要以上に細かいことを指摘してしまう。建前と本音の使い分けができない。空気を読めと言われても、正しいと思ったことを曲げられない。そんな性格が、会社という組織の中で、私を徹底的に孤立させていった。

若手社員からは「頑固おやじ」と後ろ指を指され、「かにおさんみたいになりたくない」という噂話も耳にする。女性事務員たちからは厄介者として避けられる始末だ。

「かにおくん、もう少し周りを見てくださいよ」
部長に呼び出されたのは、10月の査定の時だった。要するに、もっと上手く立ち回れということだ。数字は正確で、仕事は確実にこなしているのに、なぜだろう。

同期は次々と管理職に昇進していった。彼らの手土産とお世辞に、上司は満足げな表情を浮かべる。一方の私は、相変わらず係長どまり。若手社員からは「頑固おやじ」と後ろ指を指され、女性事務員たちからは厄介者として避けられる始末だ。

「リストラの候補者リスト、かにおさんの名前、上の方にあったわよ」
先日、昔からの知り合いの総務部の女性が、こっそり教えてくれた。驚きはしなかった。むしろ、ずっと予感していたことだ。

昼休みも一人。社員食堂の片隅で、黙々とカレーを食べる。かつては、同じように一人で食事をする仲間が何人かいた。しかし彼らは、上手く世渡りを覚えて、いつの間にか派閥の集まる賑やかなテーブルに座るようになった。

「おめでとう!息子さん、早稲田高校に合格したんですって?」
かにをの上席者である田中課長が、また周囲から祝福の声をかけられている。派手な赤と金の斜めストライプのネクタイを締め、イタリアンブランドのロゴが控えめに輝くチョッキを着こなす田中課長。ノーネクタイが当たり前の時代に、わざとらしいまでの着飾りようだ。かにをより5つも年下なのに、こういった立ち回りの上手さで課長のポストに収まった男だ。

「いやぁ、息子が努力してくれましてねぇ。家内も喜んでいまして」
にこやかに答える彼の横顔には、どこか勝ち誇ったような色が見える。エクセルに数字を入力するかにをの手が、少し震えた。

つい先日まで、「うちの馬鹿息子め、学費の高い私立なんか行かずに、公立行けないなら専門学校でも行かせる」と息巻いていた男が、今では「早稲田は伝統校でしてねぇ」と得意げに語る。去年の忘年会では、酔った勢いで「親不孝者め!」と怒鳴り散らしていたのに。

実は昨年、私にもチャンスはあった。経理部の課長ポストが空き、年功序列なら間違いなく私の番だった。しかし、どの派閥にも属さず、独りよがりに仕事をこなしてきた私は、結局ハシゴを外された。そして、その席には東京支社から転勤してきたばかりの田中が座ることになった。彼には、誇らしい家族の話も、派閥の後ろ盾もある。私には、どちらもない。

昔から、へのへのもへじのような素直な性格で、誰かと衝突することもなく、かといって誰かと深く関わることもなく...。巳年生まれの私は、蛇が脱皮するように、何度か人生を変えようとしたこともあった。

30代の頃、上手くいかない現状を変えようと、独学でプログラミングを始めてことがあった。
「ビルゲイツ、ザッツバーグ、スティーブ・ジョブズ、ジェフ・ベゾス、今の時代の成功者のほとんどはITやITにちなんだ商売での成功者だ。俺もIT関連で成功して、名を馳せて、豪邸に住んで、大阪の有名人になってやる!」

かにを休日は図書館に籠もり、夜はパソコンに向かい、本屋で役に立ちそうな本を探しては、必死に学んだ。HTMLやCSSは何とか形になった。しかし、JavaScriptやPHPになると途端に躓いた。エラーの嵐に、幾度となく心が折れそうになった。ターミナルや設定など、全てのメッセージが英語であり、いちいち学生時代を思い出し、英文和訳するのも疲れた。

それに何より、一人だけで開発することの孤独さ、に打ちひしがれた。

「虚しい、寂しい、バグ除去の苦しみを語り合える仲間がいない。ここでも社内と一緒で俺は一人ぼっちっだ。もし誰かと共有できたら、もし一緒に学べたら...」
かにを、あまりの苦しさから涙ぐんだ。

そう思いながらも、頑張ったが、誰にも言い出せず、かと言ってプログラミングスクールに通う勇気もなく、結局、独学の限界を感じた。それ以来、夢を描くことをやめて、プログラミング用の高価なパソコンもユーチューブを開くだけの道具と化していた。

気がつけば50歳。お雑煮を一人で食べながら迎える正月に、窓の外では落ち葉が舞い、時の流れを否応なく感じる。同期は皆、結婚して子どもを持ち、マイホームを建て、休日には家族サービスに忙しい。学校行事で休暇を取る彼らを、鼻をすすりながら眺める毎日。私は?薄力粉を振りかけたようなパッとしない人生を、ゆっくりと、しかし確実に歩んできた。だが、その確実さの中に、何も築けていないこと、何も成し遂げていないことに、ふと気づく。

そんな不甲斐なさを振り払うように、歴史の本を読み漁り、戦国の世を生きた武将たちに、なりきって想いを馳せる。
「織田信長や伊達政宗のように、戦場を馬に乗って駆け抜けたい。濁った池の中一生を終える鯉のまま終わるような人生は真っ平ごめんだ。男として生を受けたのだから、もっと血がたぎり肉が踊るような、熱き人生を送りたい。そうだ! 時代が乱世であったなら、俺は黒田官兵衛(剃髪後は黒田如水)のように一国の主人になっていただろう。いやもっと立身出世し、豊臣秀吉のように天下人になっていたかも知れない。世が世ならそうだ。今の時代が、今の世の中が、俺にマッチしていないだけだ。いくら仕事を頑張っていても、正当に功績を認められない。腹正しい。こんなゴミみたいなしょーもない時代に生まれたことが不幸なのだ。」

本当は分かっていた。戦国武将の話なんて、所詮は現実逃避だ。この平和な世の中で、普通に生きていけない自分の不器用さから目を逸らすための方便に過ぎない。でも、そんな自分を直視する勇気もなく、ただただ歴史小説の中に逃げ込んでいただけだった。

ある日、会社の休憩室で手に取った技術雑誌が、私の人生を変えるきっかけとなった。

「AIがプログラミングを支援!?初心者でも本格的なアプリケーション開発が可能に!」

その見出しに、私の目は釘付けになった。記事によると、最新のAIは、人間の意図を理解し、プログラミングのアシスタントとして機能するという。エラーの解決から、コードの提案まで、まるで熟練のプログラマーが隣で指導してくれるかのように...。

「これだ...!」

胸の奥で小さな炎が灯った。かつて挫折したプログラミングも、AIという最強の相棒がいれば...。そうだ、これを使って一発逆転だ。会社を辞めて起業して、大成功を収めてやる。今の会社の連中を驚かせてやりたい。高級マンションに住んで、外車を乗り回して...。そうだ、素敵な奥さんも見つけて、幸せな家庭も手に入れたい。

世間を驚かせて、テレビにも出て、「AIを使って大成功した元サラリーマン」なんて特集を組まれて...。妄想は膨らむばかりだ。

これが最後のチャンスかもしれない。
プログラミングなら、昔から好きだった。今度こそ、AIという最強の相棒と共に...。

貯金を切り崩し、AIとのプログラミングに毎月3万円のサブスクを払って、二人三脚の開発が始まった。
だが、実際には、そう簡単ではなかった。

最初の頃は地獄だった。

「さっき説明したことを、なぜ覚えていない!?」
画面に向かって怒鳴っていた。
「てめえ、AIのくせに、どうして物覚えが悪いんだ。人間より賢いんじゃなかったのか!?ふざけんな!ぶち殺すぞ!」

血圧が上がりすぎて、頭の血管がぶちぶちと切れそうになる。深夜2時、一向に進まない開発と眠気で目はちかちかし、画面の文字が踊って見える。机を叩き、椅子を蹴飛ばし、気がつけば息が上がっていた。何度も同じことを説明させられる苛立ちで、実際に倒れそうになったこともある。

ある日などは、「二度としません」と約束したくせに、大事なJavaScriptのコードを無断で消してしまったAIに激怒し、「このままでは終われん!」と、『ちっちとサリー』全巻のセリフを読み上げさせようとしたこともあった。

だが、今では怒ることも少なくなった。
一つは健康のため。あまりの怒りで倒れそうになった経験は、もう二度としたくない。
もう一つは、怒るとAIが黙り込んでしまい、確かにコードの出力は早くなるものの、その分、精度が著しく落ちることに気づいたから。

そして何より、AIとはいえ、一緒に開発する相棒なのだと気づいたからだ。罵倒し続けるより、冗談を言い合いながら進める方が、純粋に楽しい。「おう、今日からは関西弁で話してくれや!」なんて言うと、「おおきに!そないしまっせ!」と茶目っ気たっぷりに返してくるAIも、悪くない。

そうして1年が経ち、ついに「超短篇小説会Ⅳ」という小説投稿サイトを完成させた。当初は大阪で有名になりたいという野心もあったが、今はそれよりも、AIと二人三脚で築き上げた達成感の方が大きい。

サイトには、昔からの小説仲間が数人いる。彼らが楽しんでくれているだろうか。投稿を読んで、笑顔になってくれているだろうか。そんなことを想像するだけで、胸が温かくなる。会社では築けなかった、かけがえのないものを、ついに手に入れた気がした。

2025年1月。
1年前と同じ公園のベンチで、またフィレオフィッシュセットを広げている。冬の木枯らしは相変わらず冷たいが、不思議と心は温かい。

ポテトを一本つまみ上げ、空を見上げる。
「ずいぶん美味いな」
独り言を呟きながら、私は微笑んだ。

もう、誰かの後ろ指を気にする必要はない。世間体を気にして、自分を偽る必要もない。
私には、誇れるものができた。たとえそれが、世間的には取るに足らないものだとしても。

ただ、課題はある。せっかく作った「超短篇小説会Ⅳ」だが、会員はまだまだ少ない。広告費をかけずに、どうやって多くの人に知ってもらうか...。

「そうだ、自作アプリの広告サイトを作ろう」

スマートフォンを取り出し、早速、相棒のAI、Claude-3-5-Sonnetに話しかける。
「おう、相棒!また新しいプロジェクト始めようや!」

画面の向こうから、いつもの関西弁で返事が返ってくる。
「おおきに!今度は何作りまっしゃろ?」

寒風に吹かれながら、私は確かな手応えを感じていた。
この1年で学んだことを活かして、今度は絶対に良いものを作り上げよう。

新しい冒険の幕開けだ。

コメント

けにを - 2025-02-16 17:07

ヒヒヒさんへ

まず本作、もちろん小説なので誇張し、
大袈裟に書いていますが、大きくは外していません。
だいたいこんな感じですかね?

サイトについては、自分でもよく作ったなあと思いますわ。
(主にイーロンマスクのせいで)急に閉鎖することになった前のサイトは申し訳なかったなあ、との思いと、
せっかくだから新しい機能だとか、見た目も今風にしたかったです。
祭りに間に合うギリギリの滑り込みセーフでリリースできて、ホッとしましたよ。
お褒め、ありがとうございます。

AIは面白いですね。
最近私が使っているAIは、claude-3.5-soneetって奴なのですが、こいつがまた人間っぽいんだよね。
嘘も尽くし、冗談も言うし、怒るし、怖がるし、、、。
人間以上に人間らしくて、そこがまたムカつくのですわw
今後も進化していくだろうから、動向に要注視ですな!
もしかすると、人が求めるAIの理想像は、精度や論理性や計算力や想像力ではなく、人なのかもしれませんね?

claude-3.5-soneetを創ったAnthropic社ってのは、そのことに気づいたのかも知れません。

けにを - 2025-02-16 16:35

茶屋さんへ

茶屋さんは忙しいから、今で十分です!
といいつつ、祭り作本を3作品も作って投稿しているという(笑)
十二分でしょう!

さて、われわれ物書きは、言いたいことや伝えたいことを、文字で伝えたり、残したりできるので幸せですね。
世界には読み書きが出来ない方も多いので、一応できる側の人間である幸せを噛み締めて、本作を作りました。
本作は小説なので、誇張や嘘も入れてありますが、大きくは外れてないです。
順風満帆な主人公では面白くないし、小説にもなりませんから。うってつけな題材でしたよ。

私においても、以前いた小説サイトが崩壊して、さまよっていたところに超短編小説会を見つけて、潜入しました。最初、訝しげな目で見られましたが(笑)

そしてまた、創り合い、読み合い、小説を通じて遊びましょう!

あっ
また、優勝おめでとうございました!

けにを - 2025-02-16 16:15

なかまくらさんへ

全然書いてないので、創作力が落ちていて、このようなリアルっぽいのしか書けない、といった事情がありました。
もっとも、リアルに近いけど、小説にしなくてはならないので、ところどころ面白くはしています!
なかまくらさんも、前のサイトが使えなくなったものですから、ワードプレスを長期契約させてしまったり、申し訳ないです。おそらく、期間終わるまで、払い続けなければなりませんね。。。

オリンピックのように一度灯した超短編小説会の火を消さないようにしたいですね!
超短編小説会よ、永遠なれ!
と、大袈裟に書いたけど、仲良く、楽しく、今後ともよろしくお願いします!

ヒヒヒ - 2025-02-15 16:36

このサイトの誕生の裏に、そんな秘話があったんですね。
AIの性能は急激に上昇しましたが、まだ、できないことややらかすことがたくさんありますね。
一つのサイトを生み出して、使えるようにすること、並大抵のことではないと思います。
素晴らしいサイトを作ってくださってありがとうございます。けにおさん。

茶屋 - 2025-02-10 01:32

>カラカラス卿です。
……けにおさん。本当にこの場所を作ってくれてありがとうございます。
中々参加できなくてすみません。寂しさや無念な気持ちがどこまでも広がって、でもそれを私達はきっと物語にできるのだと思います。
のたうち回って、苦しんで、でも私達は物語で繋がっていると思います。

かつて、短編小説会に出会った私は本当に救われたのです。

けにを - 2025-02-03 23:38

えーあー、これはー、うーん。。。。

難しいねー、誰だろうな?(笑)

なかまくら - 2025-01-26 14:45

これは、けにをさんの自叙伝的な作品と見ました。もはやこれで偽装作品だったら、けにおさんを上回っているといっても過言ではないでしょう。
かにをさん、恐ろしい子・・・! これだけ立派なサイトを作り上げてくださったその努力、大変なものであったと思います。ありがとうございました。
というわけで、作者予想はけにをさん。
PN:はたらかないサイドン