恋愛 | 文字数: 813 | コメント: 0

はかいしの前で

 色にひかりのない真夏、ぼくはどこまでも続くような石段をのぼっていた。  湿気はひどく茹だって頭まで煮えるようだった。  目的はただ、祖父母の墓参りだ。  きらきらしいものなどなにひとつない墓地までようやくたどりついて、水を汲み、墓石を磨き、しおれそうだった花をそえた。  手を合わせる。  線香のかおりすら、夏に重い。 「きみ」  不意に声をかけられて、ぼくは振り向いた。  くわえ煙草のじいさんが、そこに立っていた。 「きみは坂田さんちの孫かい」 「はい」 「ああ」  に、とじいさんは笑った。  それから、日陰に連れて行かれた。  駐車場があるじゃないか。車じゃあ行けないなんて、母さんの嘘つきめ。  やせぎすのじいさんは、ぼくに自販機のジュースをご馳走してくれた。  いただきます、と呷った。 「貴方は、祖父母のお知り合いですか」 「ああ、きみのばあさんを、きみのじいさんにとられたもんだよ」  うえ。  身内の生々しい話は聞きたくない。 「きみのばあさんは、そりゃあ煙草が好きでね」 「はあ」 「それを、結婚するからっつって、辞めたのさ」 「はあ」 「だから、おれは、客をひとり持っていかれてしまった」  なんだそういう。  中学生相手に悪い冗談はやめて欲しい。  しばらく思い出話を聞かされてから、ぼくは石段をくだった。  田舎の家に戻ると、親戚やら近所のひとやらが、たくさん集まっていて。 「……どうしたの、母さん」 「空き巣が出たの」 「え」  見れば箪笥の引き出しという引き出しが乱雑に開け閉めされた様子で、何かを探したあとのようだった。  間もなく警察がやってきて、現場検証がはじまった。  結局。  なくなっていたのは、祖母が嫁入り道具の中に、ひそやかに、ほんとうにひそやかに紛れ込ませていたという、煙草のひと箱だけだった。

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