花のよしあしはわからない
#0 吸血鬼は橋を渡れない。弟は渡れる。 吸血鬼は鏡に映らない。弟は映る。 なのに、彼の顔は、写真に写らない。 #1 河中芦花(ろか)が祖母になじられたのは、芦花が美大の受験に失敗した後のことだった。 「お前は芦花じゃなくて、悪し(あし)の花と名乗るがいいさ」 祖母が怒ったのは、芦花が持ち前の画像編集技術を悪用して他人に迷惑をかけたからだった。芦花は試験に落ちた憂さを晴らすために偽画像をネットにばらまき、その結果として、被害を受けたと言う人から和解金を請求される事態を招いたのだ。 芦花というのは川辺に生えている葦(よし)の花のことであり、もともと葦はあしと呼ばれていたのだが、悪しに聞こえるので「よし」と言う名に変えられた――と言う話を、芦花は父から聞いた。 祖母の言葉は芦花の胸に深く刺さった。芦花は画像編集に使ったパソコンを捨て、絵を描くのも止めた。画材は捨てられなかった。彼女が集めていた色とりどりの鉛筆は、全て押し入れの奥にしまい込まれた。 #2 芦花の父が妙なことを言い始めたのは、とある冬の日のことだった。 芦花の弟である一葦(いちい)の顔が写真に写らない。高校へ出願する際に彼の顔写真が必要なのに、これでは手続ができない。 芦花が父に請われるまま弟をスマホで撮ると、妙な画像が保存された。それは一見、激しくて手ぶれしてうまく撮れなかった写真のように見えた。しかし背景として映り込んだ部屋の家具は普通に取れている。にも拘らず、小柄で目の大きい、人懐っこい顔の少年だけが、写真の中では肌色の”塊”になってしまう。 家中のカメラをかき集めて試したが、駄目だった。隣の家の人に撮らせても、友人たちに頼んでも、一葦の顔が綺麗に映らない。 「俺、高校行けないの?」 呟く一葦に、父が冗談めかして言った。 「何か悪さをしたんじゃないだろうな。呪われるようなことを」 それを聞いた母が芦花の方に顔を向けた。 「冗談でしょ? 私のせい?」 母が目を逸らすのを見て、芦花は家を出た。 #3 家を出た芦花は友人の家やネットカフェを転々として過ごした。彼女が母親からの電話を取ったのは、1週間が経った日のことだった。 何度電話をかけたと思っているの、と言う母の小言をいなして用件を聞くと、母は謝罪の言葉を口にした。フェイク画像を作っただけで呪われるわけがない。父にそう叱られて反省したと。 一葦の”症状”は変わっていない。だからあなたにも協力してほしいと、母は必死な口調で言った。 「ばかばかしい」芦花は吐き捨てた。「高校に言えばいいでしょう。写真写りが壊滅的に悪いので、写真の添付を省略させてほしいとか何とか」 「言ったわよ! 受付の人に一葦の写真を撮ってもらうことまでしたんだから」 「どうなったの」 「『大変だとは思いますが、どうにかして綺麗な写真を撮ってください。願書には写真の添付が必要です』って。ねえ、芦花。あんただったら写真だって直せるでしょう。偽物を作れって言ってるんじゃない。ちょっと写りの悪い写真を直すだけ。それなら悪いことではないでしょう? 弟のためなんだもの。ね?」 #4 雪がちらつく中、白い息を吐きながら芦花は帰った。 居間に気落ちした様子の弟がいた。 「姉さん、偽造なんてしなくていいからね」 「しないよそんなこと。昔撮った写真を参考にするだけだよ」 芦花は両親と手分けして家中の写真をかき集めたが、すぐに、自分たち一家に写真を撮る習慣がなかったことに気付いた。ここ最近の一葦を家族が撮った写真はほとんどなく、学校の教師や友人が撮った写真にも、写りの良いものはなかった。 芦花は力なく首を振った。 「素材が悪すぎる。すくなくともあたしの技術じゃむり」 「あなた絵は上手かったじゃない」 「鉛筆画はね。CGの方はおままごとみたいなもん。パクった画像を切り貼りすることしかできなかった」 「じゃあ、よく似た人の写真をさ」 そう言いかけた父に向かって、一葦が大声を出した。 「それはダメ! それは本当に違法な奴じゃん」 だめかあ、と引き下がった父からパソコンを借りて、芦花はやれるだけやってみようとした。昔使っていた画像編集用ソフトをダウンロードして、スキャンした昔の写真をこねくり回す。どう見てもおかしな写真にしかならない。 ――生徒手帳の写真って、出願したときの写真を使うんだっけ……。 気づけば早々と降参した父が晩酌を始めている。母は弟を相手に何度も写真を撮っていた。照明の当て方を変え、カメラの持ち方を変え、取り込んだ写真の明度を変え、彩度をいじり、しかしどうやっても――。 父がするしゃっくりの音と、母のカメラのシャッター音。 それが、途絶えた。 芦花が顔を上げたとき、父は居間のソファで眠りこけていた。テーブルの上にはラップがかけられたおにぎりが置いてあり、母と弟の姿はなく、デジタル時計が真夜中であることを知らせていた。 芦花は2階に上がり、弟の部屋を覗き込んだ。 明りはすでに消えていて、廊下から差し込むか細い灯りが、部屋の中の家具の輪郭を辛うじて浮かび上がらせている。忍び足で近寄って、芦花は眠っている弟の顔をスマホで撮った。 光量不足でうまく撮れなかった。 学習机の椅子に座り込む。 ――解けるかな、呪い。あたしが教会で懺悔すれば。 椅子の背もたれが軋んだ。 暗闇になれてきた目が、本棚の端に立てかけられた色紙を見つけた。 それは芦花が描いた絵だった。中学入学の祝いとして一葦に贈った似顔絵。今では笑ってしまうほど拙い技術で描かれた絵の中で、可愛い弟が微笑んでいた。 芦花は部屋を出た。音を立てずに、しかし急ぎ足で。 #5 願書の提出期限の日の朝に、一葦はのろのろと目を覚ました。 姉からメールが届いていた。 題名は『撮れたよ』 本文は1行だけ。 『プリントは自分でしてね』 添付された画像を開くと、それは自分の顔を写した写真だった。 #6 花を散らした桜が並ぶ並木道を抜けて、一葦は自転車を走らせた。 角を曲がると川に出る。町を西から東へ貫く川に沿ってサイクリングロードが整備されており、姉は、その道へ降りる階段の半ばに腰かけていた。スケッチブックを膝に置き、ようやく芽を出し始めた葦の群れる原を眺めていた。 一葦が傍に立つと、芦花は「おかえり」と小さく言った。一葦の方は見なかった。 あの冬の日から、2ヶ月が経っていた。 「先生に全部白状してきた。俺たちがしたこと」 「写真を作ったのは全部あたしだけどね。それで?」 「笑われたよ。初めてだって。『顔じゃなくて似顔絵を撮った写真を願書に貼ったやつは』って」 一葦が自嘲するように鼻を鳴らす。 「やっぱり駄目だった?」 芦花が硬い表情のまま聞くと、一葦は首を振った。 「俺が写真に写らない”体質”だってこと、試験にはきちんと合格したこと……なにより、写真を使った本人確認のとき、誰一人として『その写真が似顔絵を写したもの』だと気づかなかったこと。そういうことを全部踏まえて、お咎めなしってことになった」 ようやく芦花が息を吐いた。 「よかった。じゃあ、あんた、あの学校通えるんだ」 「うん。なんかもうあだ名を付つけられた」 「なんて?」 「吸血鬼」 芦花が眉をひそめたのを見て、一葦が慌てて付け加える。 「実は結構気に入ってる」 「あっそ」 芦花がスケッチブックを抱いて、空を仰いだ。西の空にかかる太陽が、辺りに淡い色を落とし始めた。 「おばあちゃん、許してくれるかな」 芦花がつぶやくと、一葦は叫ぶように言った。 「許してくれるさ。もしまだ怒ってたら、俺が弁護してやるから」 そう言う弟の声を聞いて、姉は笑った。 花の名前を持つ娘が、葦(よし)の揺れる川辺で。 花のよしあしはわからない_終
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コメント
>なかまくらさん
書くだけ書いたら熱が引いたのか、今ではそこまでではなくなりました(笑
形にするの難しいですね、アイデアが出てもそれが小説にならないことが多いです。
(没の山を眺めながら)
いいですね、小説ばかり書く日々・・・!
新しい物語は時折、降ってくるのですが、形作るのが難しくて難しくて汗
>けにおさん
コメントありがとうございます。最近なぜか会にアクセスできなくってお返事遅れました。
ネットで検索したらすんなりアクセスできました(笑)。
最初は吸血鬼のお話を書いてたんですが、最後の2行を思いついてからは、
それを書きたいがためにキーをタイプしてました。上手くいったようでよかったです。
>なかまくらさん
祭りの後、2週間ぐらい小説ばかり書く日が続いておりました。
河の側であるが故に起こった事件・・・・・・! そうかもしれないですね。
弟もいつか、普通に写真に写るようになるのかもしれません。
ヒヒヒさん、筆がのってますね!
河に近いところにある性質から、そういったこの世とあの世の理が混ざり合うような事象が起こったりするのかもしれないなあなんて思ったりしました。
これをきっかけにして、お姉さんが、美大を再受験できたらいいですね。
おおお、今回は味わいのある良い作品だ!
ジョーク作品も楽しいけれども、こう言うジンワリくるお話はいいですね!
うんうん。
兄弟愛ですねー、なるほど、これが描きたかった訳ですね。
あと、小説の良さ、活字の味わいが滲み出ていますね。
そうそう特に、
そう言う弟の声を聞いて、姉は笑った。
花の名前を持つ娘が、葦(よし)の揺れる川辺で。
最後のこの2行が素敵やわー、美しいわ、かっこいいわ、ずるいわ(笑)