ロボットに合わせる顔はない
#1 ロボットの反乱はこんな風に始まるのだろうか、そんな風に思った。 家族同然に扱っているヒューマノイド、みそらの目つきがいつしか険悪なものになっていたのだ。半目で何かをじっとりと睨むような目つき、いわゆるジト目をすることが多くなった。 彼女は今もリビングのソファに座ってテレビを見ているが、何かに呆れたようにじっとりとした目で画面を見ている。今やっているのはシマエナガの可愛さをたたえる他愛のない特集で、だから、何か悩みか恨みでもあるのではないか、そんなことを考えてしまう。 人間にそっくりなロボット――いわゆるヒューマノイドあるみそらは、そうだと知らなければ人間にしか見えない。高い位置で結んだ長い髪は活発そうな印象を人に与えるが、形の良い目は優しげだ。そのみそらが顔をしかめているのを見ると、どうしても不安になってしまう。 #2 そんなことを考えていると、みそらの隣でテレビを見ていた姉、柚葉がこちらを向いた。 「蒼馬、どうかした?」 眉を寄せたその目は険しい。高校ではクレオパトラとあだ名されていたくらいに強い目力を持つ姉だ。去年就職して以来、ますます迫力が増した感じがする。 みそらもこちらを見る。先ほどの表情が嘘みたいに消えて、優しく問いかけるような顔をしている。 「何でもない」 「なにか言いたいことがあるんでしょう」と柚葉。 「言っても怒らない?」 「内容による。言いなさい」 俺は覚悟を決めて言った。 「最近、みそら、不満げじゃない?」 柚葉の眉のしわが深くなり、みそらの表情が曇った。 「どういう意味よ?」 「私が、ですか?」 「その、たまーにだけど、怒ってるみたいな顔にならない?」 「あんたが怒らせるようなことしたんじゃないの」柚葉が言う。「あたしまだ覚えてるからね、あんたがみそらを家来にしようとしたこと」 そんなことはしていない。ただ……『俺のことは殿下と呼んで』と言ってみただけだ。俺が中学生の時のことで、もう4年も前のことだ。と、そこで気づいた。 「今の姉さんみたいな顔してるんだ、みそらが、ときどき」 「はあ?」 柚葉が驚いたように言い、みそらと顔を見合わせる。 「さっきの姉さんみたいに、ジトーッとした目をしているときがあるんだ」 「いわゆる、ジト目と言うものでしょうか、蒼馬さん」 「そうそう」 「あたしはそんな顔してない」 キッ、と擬音が付きそうな鋭い目つきで、柚葉が俺を睨んだ。 #3 俺は思わず手にした文庫本で顔を隠す。柚葉が舌打ちするのが聞こえた。 「怒らないって言ったじゃん」 すると、柚葉にも何か思い当たることがあったらしい。スマホを取り出すと、写真を表示してこちらに向けた。それはリビングで椅子に座っているみそらを、本人に気づかれないように撮ったものらしい。写真の中のみそらは目を半分だけ開いて、眉をひそめている。ジト目のお手本と言いたくなるような表情だ。 「こんな顔?」 「そう!」 「……あたしもちょっと気になってた。1週間くらい前かな、夕飯のとき、父さんに『何か悩みでもあるのか?』って聞かれたでしょう、みそらが。あのときもこんな顔してたから」 みそらはヒューマノイドなのでものを食べることはできないが、夕飯のときには新郷家の1人として食卓を囲む。 俺がみそらの顔を伺うと、彼女は口に手を当てて驚いている様子だった。 「自覚していませんでした」 「悩み、あるんじゃないの?」 みそらはゆっくりと首を振る。 「お父さんに悩みがあるかと聞かれたのは7日前の19時3分です。そのときは皆さんが歌番組を見ていたので、私はメンテナンス予定の再確認をしていました」 「ほんと? 蒼馬にキレてたとか、ない?」 「何もしてないって」 みそらは再び首を振る。 「必要であればそのときの思考ログをお見せすることもできますが」 「思考ログは緊急時以外は見ないって決めたでしょう」と柚葉。「みそらにもプライバシーってものがあるんだから」 「あのさ、その時どんな表情をしていたかは覚えてないの? 記憶……というかログがあるんじゃない?」 「いえ、表情のログが残るのは、私のシステムの思考ユニットが“意図して”表情を作ったときに限られます。例えば、私が『ここは気兼ねせずに笑おう』と考えたような場合にはそのログが残ります。そうでない場合、どんな表情をしたのかというログは残りません。あのとき私はメンテンナンスのことを考えていたので、そのことしか残っていません」 「じゃあ無意識に作った表情のログはないってこと?」 「私には無意識と言うものはありませんが、誤解を恐れずに言えばそうなります」 #4 「なら、反乱したいとか思ってるわけじゃない?」 俺が言うと、みそらが首を傾げた。 「何にですか?」 「蒼馬、あんた陰謀論信じてるんじゃないでしょうね」 「ふ、不満はないのか、って聞きたかっただけだよ」 「稼働に必要な物はお伝えしていますし、特に不足は感じてないです」 「ならよかった。じゃっ、この話はこれで」 「終わらない」柚葉がぴしゃりと言う。「自覚してないのにあんな顔してるって、ちょっとまずいでしょ。ウイルスとか感染してたらどうするの」 「ウイルスではないかもしれませんが、放置することは好ましいことではありません。お父さんにも誤解されてしまいましたし」 「なら原因を調べなきゃ」 と言って、柚葉が横目で俺を見た。 「な、なんですか」 「あんた得意でしょ、こういうの」 みそらがさりげなく家族の共有ノートPCを取ってきて、テーブルに置いた。 「お願いします、蒼馬さん」 みそらの瞳に切実な光が浮かんでいるのが見えて、断れなくなった。 #5 みそらはもともと、祖母が自分の身の回りの世話をさせるために購入したロボットだった。国の基準では介護用ヒューマノイドの一種に分類される。主要な機能はコミュニケーションおよび生活補助で、特徴は人と同じようにふるまう能力を持つことだ。 4年前に祖母が亡くなったとき、親族は(俺の両親も含めて)みそらを売却または廃棄しようとしたのだが、柚葉がそれを止めた。曰く、私がおばあちゃんだったらみそらも大事にしてほしいと思うだろうから、というわけで、今、みそらの機体およびシステムのオーナーは柚葉になっている。 俺が持っている権限は『オーナーの家族』の権限であり、大したことはできない。せいぜい設定を見て、軽微な設定を変更するのが関の山だ。にも関わらず、みそらのトラブルシューティングはいつの間にか俺の役目になっていた。弟はつらいよ。 「まず疑うべきは、誰かが設定を変更したことだけど、姉さん、最近設定変更した?」 「設定って……例えば?」 「表情とか振る舞いに関わる指示とか……みそら、30秒だけ高級レストランのスタッフになりきって行動して」 するとみそらは背筋を伸ばして立ち上がり、手を体の前で揃え、優雅にお辞儀した。 「こういう指示」 「するわけないでしょ」 「だよねえ。みそら、指示は解除。座っていいよ」 「はい。新郷みそらとして行動しますね」と言ってみそらがソファに座る。 「なら親父か母さんかなあ。みそら、直近2週間以内に行われた設定変更のログを全部吐いて」 「言い方」 柚葉が嫌そうな顔をする横で、みそらがログをPCに表示した。3日前に行われた変更が目に留まる。変更は柚葉で、変更内容は 『家族アカウント-新郷蒼馬の呼称を変更。そうまさん→おうまさん→そーちゃん→あおうま→しにがみ(システムによって却下されました)→そうまさん』 「何だよこれ」 「あー、酔って変えたかもねー」 柚葉が目を逸らす。 「ひどいや」 が、今回の件とは関係がないだろう。 続けて6日前のログを見る。 『コミュニケーションモードを追加。ITパスポート試験対策教室の講師としてふるまうモード。新郷柚葉を小学4年生だと思って説明をします』 思わず吹き出してしまった。 「しょ、小学生のゆずはちゃん」 「今それ関係ないだろ」 「すいません……」 #6 結局ここ2週間でジト目を誘発するような設定変更はなく、念のためログを3か月前まで遡ってみたが成果はなかった。 「次に考えるべきはウイルスかマルウェアかなあ。でも、みそらにはアンチウイルスソフト入れてるし、スキャンも朝夕1回ずつやってるからなあ」 「はい、最近の検査で検出されたウイルスはなく、この3ヶ月間、新たにインストールされたソフトもありません」 「……新しいタイプのウイルスって可能性もあるか。みそら、このノートPCと連携して次のタスクを順次実行して。1.今のみそらの症状をウェブ検索用にまとめて。2.ネット検索して。3.検索結果のサマリを教えて」 「かしこまりました」 みそらがソファに腰かけた姿勢で目を閉じる。ノートPCの画面の中でウィンドウがあわただしく動き、数十秒後に結果が表示された。 「当該症状を引き起こすウイルスおよびマルウエアについて、信ぴょう性の高い情報は得られませんでした」 「まあそうだよね」 #7 何かヒントになるものがないかと、設定管理画面を片っ端から表示してみる。エラーや誤動作を誘発しそうな項目は見当たらない。 すると柚葉が画面を指さした。 「この、花の仮面ってなに?」 その時画面には、みそらというヒューマノイドを動かしているアプリケーションの一覧が表示されており、その中に『花の仮面_Ver4.5』があった。 「仮面、ってことは、顔面に関するアプリじゃないかな」 みそらが頷いた。 「はい、私の表情の制御に関連するアプリです」 「ちょっと待って」と柚葉。「みそらの表情って、“みそら本人”が制御してるんじゃないの?」 みそらは『いい質問ですね』とでも言うように、にっこり微笑んだ。 「今、私が微笑んだのは、私の思考ユニットが『これはいい質問です。微笑んで回答しましょう』と思ったからです。簡単に言えば、私は“意図して表情を作った”ことになります」 「意図しないで表情を作ることなんてある?」 「では、柚葉さん。例えば電車を待っているとき『電車を待ってるときの顔をしよう』と思ったりしますか?」 「しないけど」 「おそらくそのときは『駅のホームに立つ社会人として適切な表情』をしていると思います。無意識に、自然に」 「ああ、ロボットには無意識がないから、自然な表情ができない」 「はい。どうにかしてそのときの表情を決める必要がありますが、しかし、いちいちそのことを考えているわけにもいきません。例えば『13時1分、今はお昼だからお昼の顔をしよう。13時2分、まだお昼だからお昼の顔をしよう』などと考えていたら、他のことが考えられなくなってしまいます」 「だから、何とかして表情のことを考えなくていいようにする必要がある」 みそらは大きくうなずいた。 「そこで使われるのが花の仮面です。このアプリは、“意識して表情を作る必要がないとき”に、私のメインの思考ユニットに変わって、どんな表情をするかを決めてくれます」 「なるほど。それで表情の制御に関連するアプリなのね」 「ご明察です」 #8 みそらの説明を聞いているときに、脳裏に閃くものがあった。 花の仮面のバージョンアップ履歴を確認すると、9日前に、4.4から4.5にアップデートされている。アップデートに伴う仕様変更がないかとみてみたところ、あった。 「表情選択の方法を変更し、よりそのヒューマノイドらしい表情が選択されるようにしました――これだ」 「何が?」と柚葉。 「このアップデートのせいで、みそらがジト目をするようになったんだよ」 「んなわけないじゃない。どこがみそららしい表情なのよ?」 柚葉が『あんたばかぁ?』とでも言いたげな目で俺を見た。 「それだよ」 「は?」 「姉さんの表情を真似してるんだよ、みそらは」 「はあああ!?」 #9 柚葉がソファから立ち上がって声を荒らげる。 「そんな顔してないし、真似しろとも言ってない!」 「柚葉さん、落ち着いてください。蒼馬さんの話を聞いてみましょう」 みそらが穏やかな声で言って、柚葉をなだめる。 柚葉はソファに座り直し、目だけで『それで?』と促してくる。 「多分だけど、みそらは……オーナーの真似をするようにできてるんだよ。意識的にせよ、無意識にせよ」 「なんでそう思うの」 「姉さん、歩き始めるとき、右と左、どっちから踏み出す?」 「何の話か知らないけれど、いちいち意識してない」 「みそらは姉さんがどっちから踏み出すか、知ってる?」 「82%の確率で左からです」 「それが何?」 「試したほうがわかりやすいかな。試しにさ、二人で並んで歩いてみてよ、あっちの壁まで」 「これで原因がわかるんでしょうね」 柚葉が立ち上がり、みそらがその隣に立つ。2人は並んで歩き、同時にリビングの端についた。 「歩いたけれど?」 「姉さん、みそらと歩調を合わせようとした?」 「そんなの意識してなかった」 「でもぴったり一致してたでしょ?」 「それは……確かに。みそらが合わせてくれたってわけ」 「うん。みそらは介護をする役目を持ったロボットだからね。オーナーの動きを一つ一つ正確に把握して、必要に応じて模倣もするんだ」 ようやく真似されていたことが実感できたらしい。柚葉が驚きの色を顔に浮かべてみそらを見る。みそらが首を傾げた。 「歩調を合わせるのはそうする必要があるからで、私が“意図”したものです。ですが、表情を真似する必要はありませんし、そう“意図”したこともありませんが、それは?」 #10 「それはたぶん花の仮面のせいだと思う。おそらくだけど『オーナーによく似た表情』を優先的に選択する設定になってる。特に『オーナーが良くする表情』を。みそらが“意識”しないところで動作するアプリだから、みそらの“意図”と関係なく学習と選択をしている」 「あ、あたしそんなに頻繁にあんな顔してる?」 「しょっちゅうしてる。親父がギャグを言うたびにしてるし、あと母さんが推しの話をするときにもそんな顔してる」 柚葉がパクパクと口を動かすが、言葉が出てこないらしい。やがて耐えられなくなったように両手で顔を覆い、呻くように「どうしたらいいの」と言った。 みそらが慰めるように言う。 「花の仮面が学習した内容を削除すれば、改善すると思います」 「削除とか簡単に言わないで。記憶のリセットとかはダメ」 「すみません」 「というか削除してもまた同じことを学ぶと思うんだ」 「別のアプリを使うのはどうでしょうか?」 ノートPCに代替アプリを検索させる。4つほど候補が出てきたが、どれも高額のサブスク料の支払いが必要だった。 「多少高くてもいい」と柚葉は言ったが、値段を伝えると呻き声を上げた。「うぅ……何とかならないの?」 「こうなったらできることは一つだけだよ」 柚葉がパッと顔を上げ、俺を見た。 「何?」 「姉さんの表情を真似してるんだから、真似させたい表情をすればいいんだ」 「……どんな顔をしろって言うの?」 「みそら。今から言う表情を作ってみてくれる?」 少し不思議そうな顔をしながらみそらが頷く。俺は言った。 「うちの弟は賢くて誇らしいなぁって表情」 「あはっ」とみそらが噴き出すように笑い、その次の瞬間、何か柔らかいものが俺の頭にぶつかった。柚葉がクッションを投げてきたのだ。 「人が真剣に悩んでいるのに~~~っ!」 顔を真っ赤にして、新郷家の長女が地団駄を踏んだ。 #11 それから数日後、リビングに入ると、柚葉とみそらがソファに並んで座っているのが見えた。テレビは都市伝説解決特集とかいう胡散臭い番組を映している。それを見る2人は全く同じ表情をしていた。目を半分だけ開いて眉を寄せた、ジトっとした目つきを。 そもそも問題は、みそらが何か悩んでいるのではないか、あるいは原因不明のシステムの不具合があるのではないか、ということだった。 しかしそのどちらでもなかった。それであれば、解決するべき問題もない。家の中でどんな表情をしようと別に良いではないか。父がギャグを言うことも、母が推しに熱狂するのも、それを子供が冷ややかに見ていることも、普通のことだ。だから問題はないし、直す必要もない。というのが、新郷家が下した結論だった。 柚葉がこちらを向く。 「どうかした?」 柚葉は腕を組み、この前の出来事がまるで嘘だったみたいに平然としており、みそらはクッションを抱いて、優しく問いかけるように首をかしげている。 「いや、よく似てるな、と思って」 俺が言うと、恐ろしい方の姉が唇の端を上げてにやりと笑い、優しい方の姉が目を細めてほほ笑んだ。 「当たり前でしょう」と1人が言い、後の1人が続けて言った。 「私たちは家族なんですから」 ロボットに合わせる顔はない_完
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コメント
けにをさんコメントありがとうございます!
じと目、その通りです、じとーってやつです。最近ちょっとツイッターで流行ったりもしました。
AI、Claudeとかと話してますがもうほとんど違和感みたいなのはないですね。
「回答が早すぎるので人間ではないとわかる」っていう。
これからどうなるんでしょうね、AI。
いいね!
じと目って初めて聞いたよー
じとー、と冷ややかに見る目つきなのかな?
そうだとすれば、確かに、じと目されると気になるねー
さて、本作、原因を追求する様子が、探偵物、推理小説のようで面白かったです。私も昔は推理小説をよく読んだけど、最近、とんと読んでなかったので。懐かしく感じました。そして、ヤハリ良いものだねー。何が原因なんだろーって、ワクワクしたよー。
しかし、ログとか、ウイルスとか、ヒヒヒさんもAIに詳しいねー
AIは現時点でも、ほとんど人間だよー。楽しいよね🎵
それと、やはり未来が怖いな😱これ以上賢くなると、人間不要説が😫
なかまくらさん
コメントありがとうございます。超短編というには長いお話になってしまいました笑
自分でも「ロボットの意図をアプリが決める」というアイデアは膨らませる甲斐のある
アイデアで、書いていて楽しかったです。
面白いと言っていただけて頂けてうれしいです! ありがとうございます。
#1と、そして文字数を見たときに、これは、大戦が始まるのでは・・・!?
と思い、休みの日に本腰を入れて読まねば・・・と思っていたのをやっと読みました!!
そうしたら、何とも温かい、家族の話に包み込まれました。
普段、私たちは無意識に表情を浮かべていますが、確かにロボットには無意識がないからそれが難しいんだろうな、と。
その着眼点には、唸りました!! ぐおぉぉお・・・!
近しい人を真似するのは、親しくなりたいからで、家族になると良く似てくるのはそういう理由で、
それがロボットにも影響を与える、というのは素敵な思い付きでした! 面白かったです!