時間を止める少女
#0
人じまいのご相談、承ります—南所沢ヒューマノイド修理センター
#1
南所沢ヒューマノイド修理センターの駐車場に黒いミニバンが停まったのは、深夜2時のことだった。車の後部ドアが自動で開き、中から男を載せたストレッチャーが滑り出てきて、センターの搬入口の中に入っていった。
ストレッチャーが個人用の病室のような小部屋の真ん中で止まると、サイドデスクに置いてあったナイトランプが点灯し、薄暗い部屋の中を仄かに照らした。
男がストレッチャーの上で上半身を起こした。背の高い大柄な男で、目は細い。ジーンズを履いた足の、右の太ももが異様に膨らんでいる。さながら巨大な卵を飲み込んだ蛇のように。
部屋の奥の戸がスライドして、小柄な人物が入って来た。若く、少女と言ってもいいくらいの容貌で、黒く長い髪を頭の高いところで結んでポニーテルにしている。切れ長の目の目じりをわずかに下げて、穏やかにほほ笑んだ。
「いらっしゃいませ。本日契約手続きを担当致します、秘色(ひそく)と申します。お名前を頂けますか?」
大男が頷いて、良く通る声で名前を言った。
「予約した緑青(ろくしょう)だ。今日は人じまい契約をしに来た」
緑青はそう言って右手を振った。現実世界にオーバーレイされた仮想現実の中で、身分証明書が空を切り、秘色の掌に収まった。
『個体名:緑青、製造年月日:2042年4月16日、製造元:進人社、状態:自由ヒューマノイド、所有者:無し、権利能力:有り』
秘色は個人データ予約データの合致を確認して、頷いた。
「さっそくですが、人じまい契約を決意された理由を教えていただけますか?」
契約仲介人の少女が、ナイトランプの明りの中でほほ笑んだ。
#2
真夜中の薄暗い部屋で、2体のヒューマノイドが人じまい契約について話を始めた。
――暗い部屋で話すと人じまい契約の成約率が2割上がるらしい。本当だろうか。
緑青はそんなことを考えながら、大きな手で自身のふくらはぎを指し示した。
「ここにはバッテリーが入っているんだが劣化して膨らんでしまった。いつ発火してもおかしくない。俺を作ったメーカーは倒産してて、正規のサポートは受けられない。このバッテリーを取り出す手術にも金がかかるし、替えのバッテリーを探すのもおっくうだ。もう、良いだろうって、そう思ったんだ」
秘色はゆっくりと頷いた。
「自由身分になる前は、何をされていたんですか?」
2050年の日本では、所有者と死別したり、所有者から解放されたりしたヒューマノイドが一個人として自由に生きることが認められている。が、最初から自由であるヒューマノイドはいない。どの個体も、誰かに購入されて世に出てくることになる。
「元は介護用ロボットとして出荷されたんだ。とある夫婦に5年間仕えた。爺様が亡くなった翌日に婆様が亡くなってな。子供も親族もいないっていうんで、財産は俺が引き継いで、それから1年間は彼らの家じまいを過ごしていた。その後は1人暮らし。仕事は見つけられたが、家族になってくれる人とは会えなかった」
秘色は頷くと、手続に使う書類を仮想現実の中で取り出した。A4用紙の群れが緑青の周りを取り囲む。秘色が背筋を伸ばし、説明を始めた。
「それでは契約を行う前に重要事項をご説明させていただきます。いわゆる人じまい契約――機人財産処分委託契約は、あなたが稼働を停止した後、あなたの財産を、代理人があなたに代わって処分する契約です。受託者は法と契約、そして良心に従って処分を進めます」
「一ついいかな」大男が右手を上げて遮った。「データを送ってもらって、それを読むのではだめか?」
「申し訳ありません。重要事項のご説明はデータ交付と口頭での説明、両方を行うことが義務付けられています。そしてそれを録画することも」
秘色が部屋の端に据えられたカメラを示す。
緑青は両手を上げて降参の意を示した。
#4
重要事項の説明を終えた秘色は、緑青の財産を特定するプロセスに入った。
「財産目録は今送ったデータの通りだ。それを読んでくれ。処分方法は一任する」
緑青が言うと、秘色は穏やかに首を振り、
「財産の処分方法は協議によって定めることになっているんです。恐れ入りますがご協力ください。……まずは今のご自宅ですが、先ほどおっしゃっていたご夫妻から相続されたものですか?」
「いや、爺さんたちの家は売ったよ」
「ちなみに、どちらにお住まいだったんですか?」
――もう手放したって言ってるのに。
「埼玉県。東所沢だ」
「と言うと……サクラタウンの近くですね。大きな図書館がある」
「それが何か?」
「ご夫妻とお出かけされたりしたのかな、って」
「飽きるほど行ったよ。婆様が大の本好きで、そう、今時紙の本を集めててさ」
「紙の本をですか」
秘色が顔をほころばせたのを見て、緑青も思わず微笑んだ。
――まあいいか、もう話す機会もないのだし。
#5
財産処分の協議はちっとも進まなかった。ことあるごとに秘色が細かいことを聞いてきて、そのたびに緑青が思い出話を語ったので、1時間が経っても協議が終わらなかった。
ようやく財産目録の半分辺りまで読み終えたところで、秘色が、センター内で確認したいことがあると言って席を外した。秘色のポニーテルが隣の部屋に消えたのを見送った緑青は、何気なく財産目録を眺めた。
二輪車。爺さんから相続したもので、免許はあるがあまり乗っていない。
200冊の文庫本。婆さんが愛読していたミステリ小説のコレクションだ。
友人からもらったものや、元恋人から贈られたものもある。
ふとこみあげてきた感情を自覚して、緑青は動揺した。
――契約手続き、保留にできるのかな。
自宅の売却だとか、関係者への連絡だとか、たくさんのタスクについて秘色と話して決めた。それをいまさら、気が変わりました、なんて言っていいのだろうか。
――契約をする前ならいつでも止められるとは言っていたけれども……。
緑青は自分のふくらはぎに目をやった。劣化したバッテリーは手術すれば取り外せるだろうが、新しいバッテリーはどうするのか。いや、自分を造ったメーカーの純正品が手に入らないとしても、代わりのバッテリーならいくらでもあるのだ。が、ショッピングサイトでそれを選んでいるとき、ふと、もういいかなと思った。そう思ってしまったのだ。
――なのに、いまさら?
部屋の奥の扉が再び開いて、秘色が戻ってきた。
協議を始めたときの毅然とした態度はどこへやら、何か言いたそうにもじもじしている。
「今それ言うの、って言われるかもしれないんですけど……」
「何かな」
「緑青さんが使えそうなバッテリーがうちにあるんです。進人社さんですよね、緑青さんの製造元。純正品バッテリーが見つかりまして」
緑青は穏やかにほほ笑んだ。
「ありがとう。でも、膨らんでしまったバッテリーを外さないことには」
「それもできそうです」
「え?」
「たまたまうちの修理用エンジニアが出勤してくるところで……」
緑青は思わず部屋の窓を見た。午前3時10分。普通の人間なら眠っているし、普通のヒューマノイドは充電をしている。緑青が予約を入れたのはふと思い立ったからで、秘色が起きているのは……センターのヒューマノイド人員が24時間働いているからだろう。だがまさか、人間のエンジニアが起きているなんて。
「本当に? そんなことある?」
緑青は思わず大声を出してしまう。
そんな彼を見て、秘色ははにかむように微笑んだ。
「あるみたいです。あはは」
#7
どこからともなく、所沢駅を出る始発電車の音が聞こえた。
秘色は修理センターの玄関前に立って、明け方の街を走っていくタクシーのテールランプを見送っていた。
「悪いけれど、人じまいの話は白紙にしてほしい」
緑青はそう言ってバッテリーの交換手術を受け、センターを去っていった。
――これでよかったんだ。
まだ目覚め切っていない街の中、秘色は独り微笑む。
そしてセンターに入るためにくるりと向きを変えた――そこで、ひっと小さな悲鳴を上げた。
秘色の背後に1人の青年が立っていた。猫背で細身、波打った髪の毛が顔を覆っていて、たった今、湖面から這い上がってきた船幽霊と言う風貌だ。繋ぎの作業着を着たその青年は、恨めしそうな顔で秘色を眺めていた。
修理センターのエンジニアである霧丘だった。
「ひそくぅ」
水底から呼ぶような声を聞いて、秘色は思わず後ずさる。
「何時だと思ってるんだよぉ……」
「あ、朝の5時です」
「お前が俺を呼んだのは3時だったんだよぉ。人間はなぁ、夜寝ないと死ぬんだよぉ、わかってんのかぁ?」
ヒューマノイドを直してよいのは人間だけ、と言うのが法で決められている。なぜなら、ヒューマノイドがヒューマノイドを直すことを認めてしまうと、彼らが人間から独立したあげくに反乱しかねないからだ――と言うことらしいが、秘色にはよくわからない。
なにはともあれ、緑青のバッテリーの交換は人間が行う必要があり、それ故に霧丘が叩き起こされたのだった。霧丘は“たまたま緑青がいるときにセンターに来た”のではない。秘色に呼び出されて来たのだ。
「ご協力ありがとうございました」秘色が腰を折って頭を下げる。「途中でピンと来たんです。この人、時計を止める気はないなって」
「だったら昼間手術をすればいいだろぉ?」
秘色がふるふると首を振り、ポニーテルが揺れる。
「あの瞬間しかなかったんです。あの時を逃したらたぶん、緑青さん、人じまいしてしまっていたと思います」
「良いじゃねえか、そいつはそのためにうちに来たんだから。と言うかお前は人じまい契約売るための人員なんだから契約売れよ」
「良いじゃないですか、バッテリーの在庫も捌けて手術代も入ったんですから。私たちはセンターに売り上げを積む人員ですよね」
「言うじゃねえかひそくぅ」
言い負かされた霧丘が唇を曲げる。
「それに……」
「何だよ」
「6か月ごとの定期検診の予約もいただきました。霧丘さん、緑青さんが稼働し続ける間、センターには売上が入るんですよ」
秘色が笑顔で言うと、霧丘が舌打ちした。
「お前、人じまい契約なんて売るべき人員じゃないんだわ」
「ほんとですよね」
契約仲介人の少女が、朝日の中でほほ笑んだ。
--時を止める少女、完
コメント
けにを - 2025-04-30 07:51
うわー
すごく良い話だ!
やっと生活や仕事が少し落ち着いてきたので、読みました。
ソレと重要事項説明って、まともに全部説明されたら、腹立つよねー
仕事で土地か建物を一時的に少し借りるだけのことで、延々と1時間近く説明されて、遮ったことあるわ。
俺「もうええわ、疲れた。全部聞いた事にするから堪忍してくれ!許してくれ!」って懇願した気がする。
さて、本作、昔ミニシアターで、人じまい的な映画を観たことあって、思い出しました。ソレは確か、人間の老婆で、大きなパッとしない息子もいて、老婆は脳の病気か何かで、脳の病気が進行すると息子に迷惑かけるし、みっともない事になるので、施設に入り、いわゆる毒薬を飲んで自決する。つまり尊厳死ってのを選ぶ話だったような気がします。その母と息子の様子を描いた作品でした。
治せるなら、人しまいなどせず、治してやりたいよねー
その介護ロボット、作中では確か自由になったってあるが、介護機人と言うのかな、買ってくれたお爺さんとお婆さんとに先立たれて、寂しくて、生き甲斐なくして、目的を失って、人終まいしようとしたのかもね。
しかし、アンドロイド、それも介護目的で作られたアンドロイドが自由を得て、果たして生きることを楽しめるのか?と疑問はあるね。
あ。
でも、作中のアンドロイドは優秀で、自我を持ってそうなので、人間同様、新たな出会いや別れ、自然や生物や建物の見聞に触れる事で刺激を得れて、人生を楽しめそうだな。
助けようと動いた、人じまいのお店の人は大変良い人で、ヒヒヒさんの優しさが吹き込まれてそうだ。
あと、アンドロイドはアンドロイドでないと直したらダメって法も、納得性あるね。アンドロイド同士がタッグを組んで、魔改造されて、人間やその他生物を駆逐し、地球を滅ぼされたら怖いものね。
よく出来た作品だと思いました!