コンドルの翼
#0
ヒューマノイドの身体、お貸しします。お客様は「魂」をご用意ください。
――レンタル用ヒューマノイドボディの広告曰く
#1
秋分の日の夕方に、私は埼玉県の南端、東所沢駅で友人のひかりを待っていた。
東所沢にある本好きの聖地――紙の本を展示している博物館――へ行く約束になっていたのだ。
2050年になった今、紙の本を見る機会はほとんどない。本棚で埋め尽くされた空間を歩いてみたい、そう言うひかりのために組んだ予定だった。
先に駅に着いた私は改札を出て、駅の前で彼女の到着を待っていていた。
約束した時間は16時30分で、今はその5分前。
ひかりが乗っているはずの電車はたぶん、隣駅を出た頃だろう。でなければ間に合わない。
するとそこに嫌なニュースが飛び込んできた。
『隣駅で異常な信号を検知したため、電車を緊急停止させました』
――うそ……。
博物館のチケットには時間指定がある。下手をすれば入場できなくなるかもしれない。
――だからもっと早い時間に待ち合わせしよう、って言ったのに。
ひかりが「16時30分なら間に合う」と言ったのでこの時間に待ち合わせることになったのだ。
私は大慌てでひかりにテキストメッセージを送った。
『いまどこ? 電車停まったって聞いたけれど』
すると信じられない答えが返ってきた。
『そうなの?』
『そうなのって、電車乗ってないの? 今どこ?』
『新小平駅のあたりかな』
「ええー」
私は思わず呻いてしまった。新小平駅は2駅隣だ。電車がすぐに再開したとしても、10分はかかるだろう。バスやタクシーに乗っていたとしても、5分で来れる距離ではない……。
『県境超えてすらいないじゃない! 間に合うの?』
『大丈夫だよ。予定通り』
『電車が停まったのに?』
『落ち着いて。そこにレンタル用ヒューマノイドのスタンドがあるよね?』
私は周囲を見回した。駅に隣接するロータリーに透明な壁で区切られた一角があって、その中に真っ白な人物像が展示されている。ヒューマノイドというより石でできた彫刻に見えるが、たぶんあれだ。
『あるみたい』
『その前で待ってて。すぐ着くから』
『どうやって!?』
返事は来なかった。
#2
スタンドの前に立つと、ショーケースの中に若い男女を模した二体の『像』が並んでいた。
肌や髪、服までも真っ白で、まるで大理石でできた彫像のようだ。非常に写実的に彫られた彫刻で、「生きた人間をそのまま石化させたのだ」と言われたら信じてしまいそうだ。
飾りのための彫刻にしか見えないが、ケースの端にはきちんとサービス名が表示されていた。
――レンタル用ヒューマノイドボディ
つまりこれは彫刻ではなく、機械なのだ。
通りを行きかう人々に目を向ける。祝日の夕方。あたりは空港行きのバスを待つ人や、博物館へ向かう人々で混雑している。その人々に交じって、金属光沢を放つ頭部や腕、脚を持つ人々――人型のロボットの姿もちらほら見える。
いわゆる人に似たロボット、ヒューマノイドの存在はもう珍しいものではない。
とはいうものの、スタンドの中にあるような『大理石の人物像』のような見た目の個体はあまり、というか見たことがない。普通は「明らかにロボットに見える容姿」であるか「人と見分けがつかない容姿」であるかのどちらかだ。
――ここで待てってことは、あの子、このボディをレンタルするつもりなんだよね。
ひかりは工場で製造された人、つまりヒューマノイドだ。人工の頭脳と人工の身体を持っている。だから多分『身体を借りて動かす』こともできるのだろう。きっと今はたぶんその準備をしているのだ。
――そうしたら私は、この彫像と連れ立って歩くことになるのか……。
ヒューマノイドボディを改めて観察する。眼に当たる部分が真っ白なのは「瞼を閉じている」からだろうか。そう思いたい。人に酷似しているのに瞳がないとしたら、ずっと白目をむいていることになってしまう。そんな機械と一緒に博物館を回る度胸はない。
『どうやって来るのかだけでも教えて』
再度テキストメッセージを送ったが、応答はない。
#3
私は独り、ため息をついた。
――待つしかないか。
何気なく視線を空に向けると、西側の空がよく開けていることに気付いた。駅から西側数キロに向かって、何の建物も建っていない空間が町を南北に分かつ溝のように伸びている。
その空間はドローンたちの『高速空路』となっているようだ。赤くなり始めた空の下を無数のドローンが行きかっていた。
『駅が見えた。あと1kmくらいかな』
ひかりからメッセージが入った。電車はまだ再開していない。
『ユウさんも見えた』
――1km先から?
駅の周辺には低層のビルが林立している。もし駅前に立つ私が見えたとしたのなら……。
空路を見上げると、奇妙なものが飛んでいることに気付いた。
空を飛んでいるものは、そのほとんどが8枚羽のドローンだ。が、1つだけ異質なシュルエットがある。大きくて平らな翼を広げて滑空するその姿は、明らかに猛禽の一種だった。
その鳥は、飛行高度上限線や建築物近接制限線といった、人間が空に引いた見えない線に沿って飛んでくる。
私の方に向かって。
いや違う、レンタル用のヒューマノイドボディを目指しているのだ。
翼の角度をわずかに変えて速度を落とすと、鳥はスタンドの天井にあったハッチからショーケースの中に滑り込み、そして、ヒューマノイドの額に自らの頭を触れさせた。
ありえないことが起きた。
真っ白だったヒューマノイドの肌に、明るい色が"戻った"のだ。鳥と触れた場所を起点にして、彼女の身体が彩色されていく。頬に赤みが差し、肩までのところで揺れていた髪が銀色に染まりながら、背中まで伸びていく。
真っ白で個性のないシャツにフリルが付き、その上に黒い膝丈までのワンピースが重なり、そうした変化の中で、いつの間にか顔の輪郭さえ変わっていた。
もはや石像には見えない。そうと言われなければ、ヒューマノイドであるということにさえ気づかないだろう。
文字通りの意味で『変身』というしかない現象だった。
「ひかり……なの?」
驚く私の前で彫像が――彫像だったものが、ゆっくりと目を開ける。
私の友人の姿をしたものが。
大きな青い瞳が私を捉え、その顔にはじけるような笑顔が浮かぶ。
弾むような声で彼女は言った。
「お待たせ!」
「電車、停まったんじゃないの?」
「電車には乗らなかったの」
「じゃあ、何に乗って来たっていうのよ」
私が思わず語気を強めると、
「コンドルに魂を乗せてきたんだ。素敵でしょ?」
機械の友人はそう言って笑った、人によく似た顔で。
コンドルの翼――完
コメント
あさくら - 2025-09-16 19:21
ヒヒヒさんお久しぶりでございます。
質量のある物質として飛んでくるところが秀逸ですね。
魂を乗せるのに、電磁波で情報を飛ばすだけじゃ足りないというような、今の時代を照射するような物語に感じます。