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Don’t Remember Me

#0  令和時代の幽霊は写真に写らない。写真から人を消すのだ。  ――『2030年にバズった話』からの抜粋 #1  写真を撮るのはいつだって楽しい。だって、楽しい記憶を残すために撮るのだから。  なのに、写真を撮った友人の顔は曇っていた。  手に構えたスマホの画面を見つめて、唇を結んでいる。 「ねえまゆ、どうしたの? さっきから変だよ?」  新座あやめは恐る恐る声をかけた。友人――朝霞まゆの肩越しに『航空公園駅』と書かれた看板が見える。秋分の日の昼下がり、あたりは公園に来た家族連れやカップルでにぎわっていた。  あやめは公園の入り口に展示されている飛行機の前に立ち、右腕を空へ突き出した格好のままで立っていた。同じ大学に通う友人であるまゆと街歩きに来ていたのだ。 「まゆ! 写真はどうなったの?」 「撮れ……なかった」 「また? でもさっき失敗したのは」あやめは声を潜める。「写真撮ってくれたおじさんが操作ミスしたからでしょ? というかどういうミスしたの? 何で消したのよ」 「えっとぉ……」  あやめは思わずまゆからスマホをひったくった。撮れたばかりの写真を見る。  高く腕を突き上げて飛行機を指さしている自分の姿が映っている、はずだった。  顔がなかった。  腕や胴、脚はきちんと写っていた。  顔だけが写っていない。顔があるべき部分はすべて、真っ黒なピクセルで塗りつぶされていた。 「なにこれ」  あやめはすぐに自分のスマホを取り出した。  カメラをまゆに向けると、スマホは正常に反応した。顔認証機能がまゆの顔を捉え、撮影支援機能が細々とした情報を――「名前:朝霞まゆ」「落ち込んでる?」「光源の向き変えたほうがいいかも」――画面に表示してくれる。  そのままシャッターを切ると、写真は正常に取れた。まゆの顔はきちんと写っている。  あやめは自撮りをした。  写らない。  あやめの顔は、真っ黒な正方形で隠されていた。 #2  ウェブ検索。「呪いの写真」と「体験談」がたくさん見つかった。解決策はなかった。  フィルムカメラでの撮影。まゆが父親から古いカメラを借りて撮ってくれた。現像待ち。  霊感を持つ友人への相談。解決しなかった。「何でもかんでも霊のせいにするな」と言われた。  生成AIへの相談。「専門家に相談しろ」と言われた。 『専門家ってなに? 霊感のある人には相談した。それともほかにいるの?』  思わずそう打ち込んだら、思わぬ答えが返ってきた。 #3  国道沿いのガソリンスタンドに併設されている喫茶店。そこが「専門家」に指定された待ち合わせの場所だった。日曜の昼だというのにほとんど客がいない。窓際、国道がよく見える席にその女性はいた。  年はあやめと同じくらいで20代前半に見える。青いサマーセーターにジーンズ。ソファに巨大なボストンバッグを置いていた。 「河中芦花(ろか)さん、ですか?」  あやめが声を掛けると、相手は口角だけ上げて微笑んだ。 「初めまして、新座さん」  写真に写ることができなくなってしまう現象について研究している人がいる。生成AIが提示してきた情報を手繰って見つけた専門家、それが河中だった。  あやめは大まかな経緯――2週間前に航空公園へ行ってから写真に写ることができなくなったこと、それ以前は普通に写真を撮れていたこと、特に罰当たりなことはした覚えがないこと――を話し、それから一言、気になっていることを聞いた。 「私、治るんでしょうか」 「どうかな」  河中がそっけなく言うのを聞いて、あやめはこの場に来たことを後悔した。 「写真を撮ってもいいかしら」  あやめが渋々承諾すると、芦花はバッグの中からたくさんの機材を取り出した。  iPhone、Android、ポロライドカメラ、フィルムカメラ、デジカメ、明らかに子供用に見えるカメラの形をした何か。急に撮影会を始めた女子二人に店員が怪訝そうな視線を送って来るが、芦花はお構いなしに撮影を続けた。 「iPhone、写らない。Android、写らない。お、ポロライドカメラには写る。フィルムカメラは現像しないとわからない……」 ――早く帰ってつばさに会いに行こう。  あやめは思わず、胸に付けたペンダントを握りしめていた。それは涙の形をしたラピスラズリのペンダントで、恋人からもらった。  恋人のつばさ。あやめが最も頼りにしている人は、写真のことを相談したとき、こう言った。 『例え写真に一生写れなくなったとしても、俺がお前の顔を忘れないから』  すると何か考え事をしていたらしい芦花が、もう一度iPhoneを手に撮り、写真を撮った。 「写った」 #4  あやめは思わずテーブルに身を乗り出し、芦花が持つスマホを覗き込んだ。  たった今撮ったばかりの写真には、あやめの顔が写っている。右手でペンダントを握りこみながら、不安そうな顔でカメラを睨んでいた。 「さっきのは?」  最初に撮った写真を見せてもらう。喫茶店の風景やテーブルははっきり写っているのに、あやめの顔だけが真っ黒な何かに隠されている。 「なんで」 「そのペンダント」芦花が言う。「いつからつけてるの?」 「3週間前から……公園に行く前の日にもらって」 「それだ」 「嘘! ペンダント付けたから写真に写らなくなる? 変なこと言わないでください」 「これ見て」  そう言って芦花はたった今撮ったばかりの写真の背景を指さした。そこには店内を横切る男性が写っていたのだが、その顔が、『個人を特定できなくなる程度』にぼかされていることがわかった。 「これ、AI補正がかかってるの。最近のスマホはみんなそう。『被写体として指定した人間』以外の顔にはぼかしをかけるようになっている。それだけじゃない。明るくしたり、暗くしたり、物を消したり増やしたり、いろいろやってる」 「じゃあ、AIが私の顔を黒く塗りつぶしてたっていうんですか? なんで?」 「ペンダントに呪文が刻まれていたから」  芦花がまたスマホで写真を撮る。今度はペンダントだけを。  写真は真っ黒に塗りつぶされていた。 #5 「というか、ペンダントを買ったときに説明されなかった? ドレミの呪文が刻まれてます、って」 「ドレミの呪文……?」 「Don’t Remember Me. 略してドレミの呪文。プロンプトと言った方が分かりやすいかな」 「AIに対する命令、ってことですか」 「そ」 「『私を覚えないでください』っていうのが指示なんですか?」 「より正確には『私の姿を記録することを禁止する』っていうのが趣旨なんだけどね、なぜかドレミで広まっちゃった」 「なんでそんな呪文を作ったんですか? 誰が?」 「写真に写りたくない人たちのお守りね。観光客のカメラ、報道のビデオ、インフルエンサーがばらまく動画。そういうものに記録されたくない、って人たちが開発した技術。拡張現実ってあるでしょ? 謎の模様をカメラで写したらモニターの中に3Dキャラクターが表示されたり、追加の解説が出てくるっていう。あれの応用」 「だから、ポロライドカメラには写る」 「ご明察。カメラにAIが組み込まれている場合、正確にはAIが写真を補正する場合に、あなたの顔が塗りつぶされる」  あやめはずっと握りしめていた手を開いて、ペンダントを見下ろした。 「これ、彼からもらったんですけど……わかっててやったんでしょうか」 「それ聞いちゃう?」 「……知りたいです。こういうの贈ることって、普通にあることなんですか」 「ドレミの知名度は低いから、知らないで贈ったってことは十分ある」  あやめはつばさの言葉を思い出す。 『例え写真に一生写れなくなったとしても、俺がお前の顔を忘れないから』 「知ってて贈ったとしたら?」 「これは一般論だけど」芦花は前置きしてから言った。「恋人をだれにも渡したくない。どんな記録にも残したくない。そう言ってドレミを贈る人間も、いる」  飲みかけのアイスコーヒーの中で、氷が鳴った。 #6  芦花と会ってから4日後の夜。あやめは国立駅へと向かう大通りを独りで歩いていた。  不意に肩を叩かれて振り返ると、そこにまゆが立っていた。 「写真のこと、治った?」 「ごめんね、心配かけちゃって」あやめはひらひらと手を振った。「問題なくなった」 「写るようになったの?」 「うん、ばっちり」  じゃあ記念に一枚、と言ってスマホを出しかけたまゆが、あやめの顔を見てそれをしまう。あやめはほっとした。写真を撮るような気分ではなかった。 「話したくないならいいんだけど……原因は?」  まゆが気づかわしげに聞いてくる。 「排除した」 「え? どういうこと?」 「完全に排除した」 「まってまって、何したの?」  あやめはその場に立って、駅まで続く長い通りを眺めた。滑走路に使えそうなくらいに長くて広い通りの左右に、大きな街路樹が何本も並んでいる。桜が200本あるらしいと聞いたことを、あやめは覚えている。恋人だった人から聞いたことを。  あと少し冬が近づけば、色とりどりの電灯が街を飾るだろう。それを見るのが毎年楽しみだった。 ――今年は独りで見ようかな。  あやめは友人の方を向くと、眉を寄せて困ったような顔で笑い、質問に答えた。 「覚えてないや」 Don't Remember Me――完

コメント

ヒヒヒ
- 2025-10-08 21:42

テキサス万歳さん
コメントありがとうございます!
私もSFは好物なので、またいろいろ書いてみたいです。

テキサス万歳
- 2025-10-05 15:37

ヒヒヒさん興味深く読ませて頂きました。こういうマテリアル系ホラーやsf好物なもので。

ヒヒヒ
- 2025-09-29 22:07

なかまくらさん
コメントありがとうございます。似た者同士……! そうかも。
今後「加工しにくい写真が撮れる」という意味で
フィルムカメラが復権したりするのかもしれません。
そんなことを考えました。

なかまくら
- 2025-09-28 17:32

おお!! 恐ろしい・・・!! 大作ですね。
ある意味、ちゃんと似たもの同士で波長は合っていたんでしょうね。
コミュニケーション、大事ですね。。。 スパイ映画とかで、どこにも痕跡のない人を作るなら、こういうものを生まれたときから持たないといけない時代が来るのかも、、なんて思いました。

ヒヒヒ
- 2025-09-27 22:58

けにおさん
コメントありがとうございます。恋人だった人、どうしたんでしょうねえ。
思わぬところでの写りこみ、不倫現場を(たまたま)写されて困ったCEOが
最近話題になったので、回避したい人は一定数いるんじゃないかなとは思います。

ただまあ、わざわざドレミを作るか? と言われるとそこは弱いですね。
またこの設定を題材に何か書いてみたいです。

けにを
- 2025-09-26 11:43

恋人だった人ってことは、あやめさんは彼氏とはお別れしたのかな。
彼氏さんは独占欲が強い方だったのかな。
ペンダントの力で、彼女の顔を写真媒体に残させないなんて、よっぽどだな。
そんな彼氏さんとなぜ別れたのか?
気になるところである。

しかし、あやめさんも、もと彼氏から桜200本の話を思い出したり、
冬に電球を使ったイルミネーションがきれいで、それを見るのが楽しみだったなどと感傷にふけっているところをみると、
今でも彼氏さんのことが好きなんだろうな。

さて、実際、狙った人物以外の人が写真に写りこむと、困りますよね。
そのままの写真を、SNSにあげたりすると、今の時代、プライバシー違反、肖像権の侵害などと言われかねませんから。
よくCMなんかで、映り込んだ余計なものを、デジタルの消しゴムみたいなので消して、背景っぽくする技術ありますけど、
いちいちそんな加工までして、SNSにあげるの面倒くさいですしね。

確かに、そのペンダントを付けていれば自分が写真に映り込むことないので、自身の肖像権は守れますが、
芸能人や有名人じゃあるまいし、撮られてそないに大きく困ることはないですね。
なので、わざわざドレミを買って自己防衛する人は少なそうだ。あまり需要がないので、知名度が低いんだろうな、きっと。