煙草と嘘
🗡️ 一番槍「煙草の葉ァ、くれませんかね」
帰り道。電灯の明かりがチカチカと明滅する黄昏時のことだった。
四つ辻のブロック塀に寄りかかるように、男にそう言われたのだ。
「……」
無視をして進めばよかったのだが、急に声を掛けられたものだから足を止めてしまった。
ここで歩き出してはどうにも、胸の座りが悪い。
幸い懐には銀紙を破った煙草が一箱あったはずだ。上着の内ポケットをまさぐり、箱を取り出す。
「物乞いかい? こんな辻でするなんて変わった乞食だね。二つ、路を跨げば大通りがある。そっちの方が良さそうだがね」
一本取り出して吸い口を向けて差し出すが、男は受け取らない。乞食呼ばわりが癪にさわったのだろうか?
それにしても、不思議な男だ。顔を覗こうにもくたびれたパナバ帽を目深にかぶり、獣ように髭を蓄えているせいで年もわからない。
汚れたワイシャツにレインコートを着込んで、汚らしいが物は良いものを着ているようにもみえる。この男にはその沁みついて取れなくなった汚れも不思議と合っているように感じた。
「これ、煙草かい?」
建付けの悪い襖を開けたようなガラガラ声で男はそう言った。せっかく恵んでやるというのに失礼な奴だ。
「そうさ、ラッキーストライクは嫌いかね? 高い煙草なんて持っていないよ」
「らっきぃ……ふぅん。巻いてあるんだね」
そこまで行って男は紙煙草を手に取って電灯に翳すように持ち上げてしげしげと眺めていた。
狂人にしては落ち着いている。もしかしたら、揶揄われているのだろうか?
ここまで話したのだ。誰そ彼ともわからぬこの薄明り、この物乞いに付き合って一服しようか。
「火、持っているかね?」
そう尋ねると、男はパナバ帽の奥からこちら睨むように見ると目の前で人差し指と親指を擦り始めた。
訝しんでいると、そこから煙が昇りなんと火がついたではないか。男は紙煙草を加えると指先を先端に押し当てて火をつけてしまった。
奇術の類だろうか? このご時世物、物乞いにも一芸くらいは必要と言う事か。
「驚いたな」
「何、旅先でちょっとね……そら、どうぞ」
そう言って煙を出す指先を向けられたので煙草を加えると男はこちらの煙草にも火をつけてくれた。
マッチ棒の火を消すように指を振ると指先から煙は消え、ラッキーストライクの甘く焦げた匂いが鼻腔を抜ける。
「旦那。俺を物乞いといったね」
「あぁ、言ったとも。そんな恰好で通りすがりに煙草を欲しがる奴を他になんというかね? それとも奇術師かい?」
嫌みっぽくそう言うと、男は髭の上から頬を掻きながら愉快そうに笑った。
「違いねェ。その通りだ、だがよォ……俺は奇術師でも、物乞いじゃない。旦那、恵んでくれた煙草一本分、話を聞いてかないかい?」
紫煙吐き出す男は斜めから見上げるようにそう言った。なるほど、奇術師ではなく傀儡師だったのか。まぁ、似たようなものだ。
もう家まで大分近いし、少しくらいならいいだろう。今日は、なんとなくそんな気分であった。
「吸い終わるまでならな」
煙草を吸う男は、一つ紫煙を吐くと話を始めた。
「ありがとよ。俺はな、旦那に何度もあってるんだぜ」
「……ほぉ。覚えはないが。変装でもしているのかね」
「違う、違う、そんな話じゃぁねぇよ。この辻、あの辻、どこかの辻で、旦那とこうして煙草を吸ってるのさ。前は……そう、上等な黒檀の羅宇でできた煙管を持ってたね。その前はけったいな西洋機械から煙を出していたなぁ」
煙管など買ったことはおろか持ったことも無い。傀儡師ならばもう少し面白い話でもしそうなものだが、とんだ期待外れだ。
「くだらない嘘話だな。煙草が吸い終わるぞ」
「焦るねェ。旦那、俺は……辻から辻へと渡る旅人よ。いつからどうだったのか、どこからそうなったのかもわからん。もうずっとそうさ、縦だか横だが斜めだか、この黄昏時の辻を行ったり来たりしているのさ。そうしていると、不思議と似た人によく合う。紅のリボンをつけた女の子。犬を連れた男の子。そして……煙草を恵んでくれる変わり者とかなァ。ある時俺は気づいたんでさァ、今まで辻で出会った似ている奴は実は全部同じやつだって」
「それは……前世とかそういう類の与太話か?」
「いやいや、そう言うんじゃない。旦那、間違いなく俺ァあんたに煙草をもらったんでさァ。何本もね……だから……お礼をしねぇとなぁ。えっと……そうそうこれだ。煙草の礼だよ」
そう言って男はレインコートの中から、新聞の切れ端を取り出した。日付の部分だけが切り取られ、活版の印刷で随分先の日付が書かれている。
「その日にこの辺に災難がある。だから、旦那。その日は逃げちまいなよ」
「こんな細工までして……くだらない虚言だな。だが、煙草一本の価値はあったかもしれん。ではな、物乞いといって悪かった」
「あぁ、旦那。また、どこかの辻で……」
歩き出し、振り向くと男は煙のように消えていた。
さて、この話。嘘か真か。
煙のように不確かな話だった。
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