煙草と嘘
- #0 ヒューマノイドに煙草を取り上げられたという投稿が相次いでいます。 ――2035年、日本、国営放送のニュース曰く #1 秋の空をゆっくりと流れていく飛行機雲を眺めながら、新治朱華(にいはるはねず)は煙草を吸っていた。そこは家の裏手、雑木林に面した一角で、誰も来ない、喫煙にうってつけの場所だった。すると足音が聞こえた。人間のものではない、ヒューマノイド特有の固い足音が。 そう思った次の瞬間には、右手から煙草を取り上げられていた。 「なっ」 目の前に立っているのは、身長180cmの大きな人型ロボット。白いボディと黒いヘルメット型の頭部を持つその機体は、宇宙飛行士のようにも見える。表情表出機能を持たない、いわゆる無面型と呼ばれるタイプだ。それは朱華の母が使役するロボットで、この家の家事を任されていた。 朱華は思わず後ずさる。 「アシュレイ、何するの」 そのロボット、アシュレイは合成音声で答えた。 「朱華様、煙草はあなたの健康を害します」 「だからって取り上げるなんて。私もう20過ぎてる、子供じゃないの。というかポリシー違反じゃない? 人からものを取り上げるなんて」 彼女はロボットに関する専門家――ロボットハンドラーという職業についていたので、アシュレイの行動の異様さが良く分かった。今アシュレイがしたような行為は、メーカーが定めるポリシー(行動規範)で禁止されていたはずだ。 「本日付でポリシーが更新されました。新しいポリシーは、人間に危険が差し迫った場面において、より積極的に行動する義務を私たちに課しています」 「だから取り上げたの?」 「そうです」 「これからも取り上げるの、煙草を?」 「看過できない危険があれば、そのようにします」 朱華はつばを飲み込んだ。 「嘘でしょ……?」 #2 その日の夜。ダイニングで出前の寿司を待っている間、朱華は母親の紅緋(べにひ)に先ほどの出来事を伝えた。母の隣に座る兄、浅黄(あさぎ)は聞いているのだかいないのだか、退屈そうな顔でスマホをいじっている。 「なんでまた裏手なんかでタバコを吸ってたんだい? ここで吸えばいいじゃないか」 紅緋はそう言いながら煙草を取り出し、アシュレイに灰皿を持ってくるよう命じた。紅緋は愛煙家であり、家の中であればどこでも好き勝手にタバコを吸っている。 「俺に遠慮したんだろ。俺が禁煙中だって言ったから」 と浅黄。彼は普段一人暮らしをしているのだが、今日は年休が取れたと言って実家に帰ってきていた。 「禁煙? いまさら?」 「友達の禁煙に付き合ってる……的な」 浅黄は無表情を装っていたが、紅緋は何かに気付いたようだった。 「そうかい。"特別な"お友達がいるんだね」 とたんに浅黄がむせ始める。 朱華は鼻を鳴らした。 ――付き合い始めた女がタバコ嫌いだって、素直に言えばいいのに。何で嘘つくのかな。 胸中で毒づく。ロボットハンドラーである自分がアシュレイの行動を制御できていないということが、彼女を一層いら立たせていた。あの後メーカーに抗議をしてみたのだが、「貴重なご意見として受け止めます」という自動送信の返事以外には何も得られなかった。 アシュレイが灰皿をテーブルの上に置く様子を見て、朱華は眉をひそめた。 紅緋がライターでタバコに火を着ける。 ヒューマノイドは何も言わなかった。 「なんで?」 「なにがだい」と紅緋。 「なんでアシュレイは、母さんから煙草を取り上げないの?」 「昼間、朱華様から煙草を取り上げたように、とおっしゃりたいのですね」とアシュレイ。 「そう。ポリシーが変わったから煙草を取り上げるようになったんでしょ?」 アシュレイが右、左、上、下、と顔を動かした。ダイニングを観察しているのだ。 「現状、私が対処すべき危険は見受けられません」 「嘘。私と母さんが吸っている銘柄は同じものだよ。健康リスクで言えば同程度。何なら年齢が高い分、母さんの方がリスクが高い。なのに私のタバコは取り上げて、母さんのタバコは取り上げないの? 筋が通らないよね?」 「看過できない危険がある場合にはそれを取り除きますが。恐れながら……紅緋様がお望みであれば取り上げて差し上げますが」 「なんだいその妙な日本語は。望むわけがないだろう」 紅緋の返事を聞いたアシュレイが素直に頷く。 「朱華」と浅黄が口をはさむ。「お前、アシュレイに嫌われるようなことしたんじゃないか?」 「は? バカ言わないで。ヒューマノイドは好き嫌いで行動したりしない。そうでしょう?」 「はい、朱華様のおっしゃる通りです」 「じゃなんで昼間、朱華から煙草を取り上げたんだ?」 「総合的に見て、看過できない危険があると判断しました」 朱華は唇をかんだ。 ――多分、何か見落としてるファクターがあるんだ。 でも、と、別の思考が浮かぶ。 ――『アシュレイが私を嫌っている』と考えれば、全部説明できる話じゃない? その日食べた寿司は味がしなかった。 #3 翌朝。空のひんやりとした空気を肌に感じながら、朱華は家の裏手に回った。そこは雑木林に面した一角で、庭というには狭すぎるが、何にも使わないでおくにはもったいない、そういう中途半端な場所だった。 新治家はとりあえずプラスチックの箱を置き、「使わないし捨てたほうがいいのだろうが、でもなんだか処分できない物」を放り込んでいる。その箱がちょうどいい椅子になることに朱華が気付いたのは昨日のこと。それまで――兄に遠慮して彼から見えないところでタバコを吸おうと思うまで、その一角が喫煙するのにちょうどいいところであることに気付いていなかった。 ただ、少し風通しが良すぎると思った。冷たい風が吹き抜け、足元で落ち葉が乾いた音を立てる。家を背にして立つと、柵の向こうにある雑木林の、思い思いに伸びている雑草やら雑木やらが見える。 朱華が恐る恐る煙草を口にくわえた瞬間、勝手口のドアノブが回り、アシュレイが顔を出した。 「朱華様、おはようございま――煙草はあなたの健康を害するリスクがあります」 ――朝の挨拶をしようとしたところで、煙草が目に入り、定形文が"生成"されたんだ。アシュレイは喫煙を目撃したとき、1日に最低1回は警告を発するように訓練されている。それなら…… 朱華が煙草を口に近づけ、火を着けようとすると、アシュレイがドアを開け、朱華に手を伸ばした。明らかに『煙草を取り上げる』ための行動。 朱華は後ろに二歩引いてアシュレイの手をかわす。 「朱華様、危険です」 「分かってる。健康リスクがあるってことは。知りたいだけなの。なんで私には実力行使をするのに、母さんにはそうしないの? もしかして……」朱華は慎重に言葉をつづけた。「私差別されてる?」 「とんでもございません! そのような意図はございません。朱華様、私にはあなた様の健康と安全を守る義務があるのです」 「じゃあなんで?」 「総合的に判断した結果です」 朱華は舌打ちをする。 ――"さすが"ヒューマノイドを初めて買う人向けのエントリーモデル。動機を説明する能力が足りてないんだ……。 強い風が吹き、柵の向こうから飛んできたチラシがバサバサと不快な音を立てる。 「恐れながら」とアシュレイ。「掃除を始めてよろしいでしょうか?」 「どこの?」 「この裏手エリアのです」 朱華は鼻を鳴らした。 ――こんなところを掃除してなんになるんだろう。落ち葉が溜まっていたって誰も困らないし、気づきもしないだろうに。でもそう言ったら『放火されるリスクが』とか何とかいうんだろう、この…… そのときに閃いた。 ――火だ。 #4 ダイニングで朝食のトーストをかじっていた紅緋の腕を、突如ドアを開けて飛び込んできた朱華が引っ張った。 「今度はなんだい!」 「母さんごめん! ちょっと試したいことがあるの」 朱華は紅緋を勝手口まで連れて行くと、サンダルを履かせたうえで家の裏手に押し出した。そこは不要品が置いてあるだけのデットスペースで、まだアシュレイの掃除が終わってないらしい、落ち葉が何枚か散らばっていた。 「ここでタバコを吸って欲しいの」と朱華。 「なんでまた」という紅緋の声と、「いけません」というアシュレイの声が重なる。 「お願い!」 朱華が押付けるようにして煙草とライターを紅緋の手に握らせる。紅緋はアシュレイの方に目をやる。そのヘルメット型の頭には眉も目もなく、何を考えているのかはちっともわからない。 言われるがまま煙草を口にくわえ、ライターの火を着けようとした。するとそのとき、紅緋の右手に、柔らかいものが触れた。あ、と思ったときにはアシュレイにライターを取り上げられていた。 「おやまあ」 「思った通りだ!」と朱華。 「何がだい。子供みたいにはしゃいだりして」 「わかったの、わかったの」 「何が」 「お母さん! 落ち葉の側でタバコを吸うのは危険なの!」 「……」 紅緋は額に手を当てた。 「当たり前じゃないか」 「違うの。危険は危険でも、家の中で吸うのよりももっと危険なの。リビングは法律通りに不燃性の建材でできてて防火対策もされてるよね。だから人が喫煙することをアシュレイは容認できる」 「はあ」 「でもここには落ち葉が散らばっていて、しかも隣は雑木林! 火災のリスクが家の中よりもずっと高いの! だからアシュレイはタバコを取り上げたんだよ」 「……そうなのかい? でもあんた、今までは人からものを取り上げるようなことはなかったじゃないか」 紅緋がアシュレイに聞くと、アシュレイは答えた。 「昨日ポリシーが変更され、より積極的な措置を講ずることが義務付けられました」 「難しいことを言うね。人から煙草を取り上げるようになったのもそのポリ何とかのせいかい?」 「その解釈がもっとも整合的と考えられます」 「なんだいその言い草は。自分のことだろう?」 紅緋が呆れると、朱華がかばうように言った。 「許してあげて、母さん。AIはね、動機を説明することが苦手なの。だからこうやって検証してあげないといけないんだよ! ああ、よかった」 何がそんなに嬉しいのか、朱華がアシュレイに飛びつくようにして腕を回した。 「朱華様、恐れながら私ではあなたの体重を支え切れません」 「ごめんごめん。ねえ、アシュレイ、あなたのこと疑ってごめんね。本当に!」 子供のようにはしゃぐ娘、それをあやす機械の人。2人の姿を照らしながら、令和時代の太陽が昇っていった、高い秋の空に。 煙草と嘘――完

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コメント
けにを - 2025-10-28 21:53
ちらっとコメントに見えましたが、私もこの作品を読んで、「ミステリーなお話やなー」って思いました!
そう言えば、爪楊枝さんもミステリーが好きでしたねー
いつの日か、あの男もこの故郷に帰ってきてくれることを期待しよう!
さて本編、秘密がどこに隠されているのか、自分なりに考察しました。
若い主人公がタバコを吸うと取り上げるが、母が吸うのは取り上げない。
なぜだ?・?
本編にあるように、Aiにも好き嫌いがあるのか??
うーん、実はサッパリ分かりませんでした!
でも、こうやって、答えは、犯人は、真相は、秘密は、ってあれこれ思い巡らすことは、
とても良い頭の体操になりましたよ!ひさびさに脳筋がついた気がします。
あっ!思い出した。
そう言えば、わたし、もともとは推理小説が大大大好きだったのでした!
読んでる途中で答えを発見して、最後の方で真相が明らかになって、
「やっぱりなーそうだと思ったよ」とひとりごちて、ニヤリとすることが最大の楽しみでした。
ヒヒヒ - 2025-10-28 21:31
>茶屋さん
コメントありがとうございます。最近ヒューマノイドに関する話を書くのがマイブームで、その一作として書きました。
奇妙な行動を考えるのは割とすぐできるんですが、「ではなぜそうなったか」と「それをどう種明かしするか」が難しいです。
>なかまくらさん
コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、朱華も紅緋も浅黄も、すべて色の名前も取りました。朱華色、灰で洗うと色落ちするんですね……。
調べてみたらうつろいやすい心を朱華色で表した和歌もあるようで、不思議な合致があって面白いなと思いました。
なかまくら - 2025-10-28 21:13
茶屋さんが、思ったことを言ってくれている感じですが、同じ感想です。
ミステリー? と思ったら、なにやら、朱華さんが安心できた話だった、というちょっと不思議な終わり方でした。
名前の由来を想像したりすると、はねず色は、灰(アッシュ)で洗濯すると、色落ちするそうで、朱華さんが持っている気質として、アシュレイに思いがけない行動をされて、不安になったのだろうな、と推察しました。それが、解消されたことから来る自分のアイデンティティの回復を描いているのではないかなぁ、と深読みしてみました。お母さんの紅緋さんもお兄さんの浅黄さんも、色繋がりでしょうか。その混ぜた色が移ろいやすい朱華さんなのかもしれないな・・・などと、深読みしてみました。
茶屋 - 2025-10-27 00:52
ミステリー? と思っていたら、ロボが持つ合理的な思考がもたらすどこか愛おしいヒューマンドラマに感じられました。
キャラの名前が独特で何か意味があるのかとも思いましたが、私の知識ではわからなかった。
>人形は人を愛されるように作られている。
ロボが嘘をつくのは人がフィルターを持っていたから。面白い解釈でした。