これは私が経験した、超自然的出来事に関する話である。私という人間が体験した事実ではあるのだが、到底現実のことと思えず。
夢うつつではなかったのではないかと今も疑っている。いつか振り返る時にそれが現実であったのだと思い返す為にここに記す。
私があれを体験したのは、一か月半前のこと。古い知人であり林業に携わるT氏からの連絡を受けてはS県へ向かっていた。
「誰もいないはずの地下から子供の声がするんだ。お前、そういう話与太話詳しいだろう? 調べてくれないか?」
まるで刈干切唄の一説のようだと笑い飛ばしたのだが、二度も連絡があり。しかも二回目は風に凍えたようなか細い声で電話口から願うものだから、私も重い腰を上げた。祖父からの遺産を食いつぶしながら探偵業をしている自分は時間を持て余しており、さらに山師であり高給取りである彼ならば礼も期待できると下心があった。
電車とバスを乗り継いで、山間の村へなんとか到着すると家畜の糞と湿気った苔の混ざった嫌な臭いが立ち込め、日の光もどこか弱弱しい。大変に古い村で電気も通っているのか怪しい。戦前に戻って時間を止めるならばこのような村になるのかもしれんと思うのは流石に失礼だろうか。
T氏を探して、村の北側にある役場と思わしき所へ行くと土地に相応しくない若い少女が出て来た。14.15歳ほどだろうか。子供ながらにうりざね顔で整った容姿の子であった。
「こんな場所へ何ようですけ?」
方言交じりではるが、彼女の甲高い声は異臭に塗れた重苦しい村に置いて、清々しいものだった。
林業でこの村に立ち寄っているはずのT氏達、山師について尋ねるとㇵの字に眉を顰める。
「木挽きさん達ゃ、二日も前から山から降りてこんのです。いつも一日ごとにここの売店で煙草を買ってくれたのに……」
山小屋にいるのだろう。彼等は一週間や二週間なら平気で山にこもることができる。そう伝えると。
「へぇ、だもんで村のモンも心配はしてねぇんです。ただ……」
声を小さくして彼女は私を手招きした。
「一昨日に木挽きさん達が来た時に、そりゃあもう顔を青くされとって。そんで、私聞いたんです……山師さん達が足下から子供の声が聞こえる言うてるのを……」
シンと周囲が静まり返る。T氏から受けた電話と符合する。言い知れぬ不安感を感じながら私は少女から煙草を買ってその場を後にした。
村人へ山師たちがいる杣小屋への道を尋ねると決まって。
「上からでさ」「上ですねぇ。よう、木挽きの音がしよりますけ」
と笑顔で言ってくる。
せめて東西南北で言ってくれと言いたくなるがようは北なのだろう。そうしていると、先ほどの少女が走り寄って来た。
青い顔をして、周囲を見渡しながら。
「おじさん。木馬(きんま)跡を行けばいいよ」
とだけ言うと、すぐに踵を返して戻ってしまった。木馬というのは木材を運ぶ木のソリで大変に危険なものだ。
今はディーゼルのキャタピラで運ぶのが当たり前で、誰がそんなものを使うと言うのだと思うが返す相手はもういない。
ため息をついて村の北へ行くと、ソリを滑らせるための割り木が敷かれた道がある。こんな前時代的なものを始めて見た。意を決して靴ひもを締め直し山に入る。しばらく歩くと、まるで肩に石でも乗せられたような疲労感が襲ってきた。
これはいかんと振り返るもそこに道はなかった。
そう、道が無かったのだ。自分は山の樹々の間の道を歩いていたはずなのに道が無い。歩いていたはずの道は白く染められている。
霧のような靄がかかってしまってもう村も見えない。手を入れると指先すら見えない濃い霞であった。冷や汗が背中を辿る。山の怪に化かされているのかもしれない。肩にかかる重さは膝を降りたくなるほどで、耐え切れず道のヘリを座る。霧が胸に入ってくるようで胸が苦しい。
役場の売店で買った煙草にオイルライターで火を着ける。なんとかこの胸の苦しさを誤魔化そうと紫煙を吐き出すと、煙が下に落ちていく。
横を見れば、ミミズが宙に浮いていた。もぞもぞと蠢いている。人は真に恐怖を覚えてた時に言葉を忘れるとこの時痛感した。
襲る襲る上を見上げると、頭上に鳥が浮いていた。飛んでない。浮いているのだ、羽ばたくことを忘れたように翼を止めて、その場に浮いている。
震える脚を叱咤して立ち上がり顔を近づける。先程まで生きていたように鳥はその場で止まっていた。
この場所は時間が止まっている。嘘であってくれと願うが、この胸の苦しさが現実だと訴えていた。
このままここにいては自分もこうなってしまうかもしれない。その恐怖が背中を押してくれた。
なんとか歩き出す。白い霧はもはや時を止める靄となって周囲を少しずつ染めていく。足元も見えなくなり、いよいよかと思った時に一つ思い出した。
『木馬の跡を行けばいいよ』
地面に這いつくばって指先で必死になぞると割り木に触れる。後はもう這って進むことしかできなかった。
息も絶え絶えに汗を掻きながら這っていくとどこからか声が聞こえた。子供の声だった。笑っているような、泣いているような、ただただひどく悲しい声だった。
「おい、おい、大丈夫か?」
目を開けると、T氏が私の頬を叩いていた。両手の皮が剥がれ痛い爪の先まで真っ黒だ。腕だけでなく全身が土くれまみれであった。
呆然としながら、T氏に自分はどうしたのかと聞くと。
「杣小屋の前にお前倒れてたんだよ。全身泥まみれでよ。お前……生きてたのか?」
答えるのも辛かったが痛みで眠ることもできない私は山師達に介抱されながら、清水に浸した布で全身を拭いて手に包帯を巻いてもらった。
一息ついた私が村についてから、ここまでに起きたことを話すと山師達は血の気の引いた顔でヒソヒソと話し始める。それを手で制したT氏が煙草に火を着けながらポツポツ話し始めた。
「足下から声がするってお前に連絡してから、もう一ヵ月も経ってんだよ。何かあったかと俺達も心配してよ。バスの運転手は確かに村にお前を乗せたって言うんだが、ふもとの村でお前を見た人間はいないと言うんだ。外から人が来れば気づかないはずがないとよ。連絡も付かねぇし……そうしたらついさっき床の下からまた、声が聞こえて、あんまりも怖いもんで皆で外へ飛び出したら小屋の前に泥まみれのお前が倒れてるじゃねぇか」
そんなはずはない。村についてから山にはいって一日も経っていないはずだ。自分は村人に道も聞いたし役場らしき建物も尋ねたのだ。村の様子を伝え、正気を疑われることを覚悟して村からここまでに起きたことを話す。
「今時、木馬なんか使わねぇよ。そんなのこの山で使ってたのはウン十年も前さ。そんでお前、一体どこから来たんだ?」
確かにあの村はやけに古かった。だとすれば自分は昔の村にでも行ったというのか。
私は杣小屋で休養した後にT氏に案内されて足下から音がすると言う山中の伐場を訪れた。体は悲鳴を上げていたが、どうしても頭に浮かんだ疑問に対する答えが欲しかったのだ。朝露にぬれた木の葉に気を付けながら伐場を訪れると、T氏が声を挙げた。
「崩れてる! こりゃあ、近づかん方がいい! 昨日までなんともなかったがなぁ……おい、危ないぞ!」
見ると、切り立った通路の一部が崩れていた。T氏の静止を振り切って私が通路の下を覗くと。
そこには木馬の為の腐った割り木が敷かれているのが見えた。そんなはずはないのに自分がその割り木を触ってここまで来た気がする。
翌日、山を下りて見たことのない村に着くといよいよ私の中の混乱は頂点になる。そこは私が訪れた村とは全く違う村だったのだ。
自分が見た物を様々な人に話すと、最長老である一人の老人が酷く怯えながら話してくれた。
「あんたが話しているのは、ここの隣村に違いねぇ。ワシが子供の頃に豪雨による山崩れで一晩で飲み込まれて碌に死体も見つからなかった村じゃ」
自分は気づかぬ間に何十年も前に土砂に埋もれた村を訪ねたのだと言われた。そんな馬鹿なと懐を探ると泥まみれの腐りかけの煙草の箱が出てきた。
ひどく腐食したそれは、まるで土の中に埋もれていたかのようで……。
これが、私が体験した怪事件の全てである。私の身に何が起きたのか知る術はないが、思考することはできる。
あの白い靄に包まれた村は時間が止まっていて、村人達は生き死にの境で今もなお生活をしているのかもしれない。
あの霧が宙に鳥を固定したように時間を止めているのだと私は考えている。助言をくれた少女はそのことを知っていたのだろうか?
あるいは、すでにあそこは死の世界で私はそこに迷い込んだだけなのかもしれない。
ただ、今こうしている時にも足下から声が聞こえる気がするのだ。あの村なのか別の何かなのか、確かに悲しい声が足下から聞こえる気がするのだ。
コメント
おおっと。
海外のホラー映画みたいな雰囲気を感じつつ、少女の存在や昔の日本の雰囲気が織り込まれて原風景のようなホラー体験と相成りました。
日常世界から、非日常世界への切り替わりの異変に気付くこともできず、巧みに物語の霧の中に飲み込まれてしまいました。
大変楽しめました。
作者は茶屋さん、・・・と言いたいところではありますが、茶屋さんは1作とのことで・・・手札温存のために、保留です。ドロー!
怪人28号です。
こわっ(><)
こんな怪談話を上手に描きますね!
また、よく古めかしい言葉を知ってますね。
うりざね顔、木馬(きんま)跡だとか。
これはもう、「茶屋さん」だと思います!