ロボットに痛覚はない。少なくとも、家庭用ロボットは痛みを感じるセンサーを持っていない。それなのに、彼女は痛みを訴えていた。
「ロボットハンドラーという仕事は儲かるのか」とよく聞かれる。
「そもそもハンドラーって何?」とも。
私はドックハンドラーの説明からするようにしている。警察犬や麻薬探知犬などを扱う専門職がドックハンドラーで、業務用ロボットを扱う専門職がロボットハンドラーだと。
儲かるかは知らない。東の方に警備ロボットを監督する仕事があればそれをやり、西の方でドローンの帰巣を手伝う仕事があればそれをやる。
「ロボットが誤作動したときに頭を下げるだけの簡単なお仕事」と揶揄されることもある。
「いつかなくなる仕事だ」とも。
ときどきロボットに関する相談を受ける。
「ロボット詳しいんでしょう? ちょっと教えてよ」という具合に。残念ながら私が助けになれることはほとんどない。たいていのトラブルなら人工知能に聞いた方が早く正確な情報を得られる。その"人たち"に解決できないトラブルなら、そもそも私の出る幕ではない。私はロボットを指揮するのが得意なだけの一般人で、ロボットの中身のことはよく知らない。
とはいえ困っている友人や知人を「AIに聞けばいいよ」と言って突き放すことがよろしくないこともわかっている。だから時間があるときには、相談者が見せてくる写真や動画なりを見て、ロボットハンドラーっぽく聞こえることを言うようにしている。たいていは同じことを言う羽目になる。
「メーカーに相談するのがいいんじゃないかな」
多分、もっと良い言い方があるとは思っている。
鹿島良一は高校の頃からの友人で、30代になった今でも付き合いがある。表裏のない素直な男で、粗野なところもあるがいい友達だ。笑いたいときには思いきり笑い、怒りたいときには大いに怒る。そういう性格の男が、困り果てた声で電話をしてきた。
「ツバサ、お前、ロボット詳しいよな」
「……AIの次の次の次くらいには」
「あいつら『メーカーに相談することをお勧めします』としか言わないんだよ」
「だめだったの?」
「メーカーにも原因がわからないそうなんだ。話だけでも聞いてくれないか。うちのロボットのことなんだ」
「助けになれるかはわからないけども」
実家で家事手伝いをしているロボットがときどき痛みを訴える、というのが良一の悩みだった。あるときは頭が痛いと言い、あるときはお腹が痛いという。痛覚も内臓もないのに奇妙なことだが、センサーに異常はなく、ソフトウェアにも異変がない。
とうのロボットは「我慢できる痛みだ」と言って、痛みを黙って耐えている。「その様子が痛ましくてたまらない」と、良一のお母さんが心配しているらしい。良一が「買い換えればいい」と言ったらひどく怒られたらしいので、返品だとか廃棄とかいう選択肢はない。
「一度実際に見てみて欲しい」と乞う良一に押されて、会うことになった。
駅の改札を出て、待ち合わせの目印である『青い目の少女像』とやらを探す。
お腹に締め付けるような痛みを感じた。朝、こたつの中で目を覚ましたとき、そのときから痛かった。
多分、こたつの中で寝る→私の部屋の家電を司る『スマートホームAI』が私の脱水症状を危惧してこたつの電源を切る→私のお腹が冷えて痛みを訴える、という経過をたどったのだろう。家を出たときは無表情で無視できるくらいの痛みだったが、今では顔をしかめたくなるくらいには強くなっている。
事情を話して帰ろうか、と思ったときに、良一の長身を見つけた。
「わざわざ呼び出して悪いな。食うか?」
良一はそう言うと、駅前の人気店で買えるたい焼きを手渡してきた。白いカスタードを詰めたこの地域の名物で、並ばないと買えない人気商品だ。
「ありがとう……」
今食べたら確実にお腹を壊す。どうしようと思ったときに、それと目が合った。
背丈は私と変わらない、約160㎝程度。人間の服を着ているが、ロボットであることはすぐにわかる。ブラウスの裾から伸びる腕は光沢のある白い樹脂製。卵型のつるんとした頭に宝石のような目。いわゆる妖精型と呼ばれる、愛らしさを強調したタイプのロボットだった。
「初めまして、鹿島ノノです」
そう言って家庭用ロボットがお辞儀をした。
「初めましてノノさん、一ノ瀬翼です。あなたが私の個人情報を記録することに制限付きで同意します。同意事項は良一のアドレスに送ればいいかな?」
「お願いします。プライバシーポリシーを返信いたしますので、お手すきのときにご確認ください」
そう言って『シェイクハンドプロトコル――初対面同士の挨拶』を交わす私とノノを、良一があっけにとられたように見ている。
「さすが話が早いな、ロボットハンドラーは」
家庭用人型ロボットが普及し始めてから6年が経とうとしているが、初対面のロボットと挨拶する方法はまだ決まったやり方がない。顔をカメラで撮っていいですか? 声を録音していいですか? 新しいロボットとの関係はたいてい、こういう気まずい質問に答えることから始まる。
私はたまたまノノのメーカーが推奨するやり方を知っていたので、すぐに終わらせることができた。
ふと、ノノが私の顔を見つめた。彼女の方がわずかに背が低いので、見上げられる形になる。
「失礼ですが、どこかお怪我をされているのでは?」
お腹は痛かったが怪我ではない。痛みは少し引いていた。ここまで来て帰りたいとは言えないし、言いたくない。
「大丈夫ですよ、どうして?」
「いえ、失礼しました。今日は寒いですね。喫茶店へご案内します」
そう言ってノノが道案内を始める。
「よくあるの? 初対面の人の健康情報を聞くこと」
こっそり良一に耳打ちすると、良一はあっけらあかんと答えた。
「良く気付くんだよノノは。人がけがをしてることとか、具合が悪いこととか」
「ふうん」
私と良一は白いロボットの背中を追って、冬の商店街を進んだ。
喫茶店に入るとすぐにノノが店の天井を見上げ、店側のAIと交渉を始めた。
「ヒューマノイド同伴につき、席代が1名分かかります」
ノノがお店に代わって注意事項を伝える。
「承知した。ホットコーヒーを2つ。ワッフルを2つ」と良一。
「注文しました。席はこちらだそうです」
ノノは私たちを店の奥まで導き、それからセルフサービスの水を取りに行った。
家庭用ロボットを同伴していればこういうことができる。店側の人間と一切を言葉を交わすことなしにサービスを享受することが。
私はそれとなくノノの様子を観察していたが、異常なところは見当たらなかった。正直どうすればいいのか全然わからない。痛みを感じることができるロボットに会って何をしろというのだろう。
「良一。あの子は知ってるの? 今日の話」
「知ってる。痛みを治すために来てもらうって言った」
「直せるとは言ってないんだけど」
お腹が痛くなってきた。さっきコーヒーを頼んでもらってしまったが、今からでも変えられるだろうか。迷っていたところにノノが戻って来る。
「これはたぶん、直しようがないものだと思うんです」
ノノはそう言って持ってきた水のグラスを置く。
「今は痛い?」
「いえ、今は大丈夫です」
すると良一が突然ノノに向かって右手を差し出した。何かを要求している。
すかさずノノが壁を指さす。そこには禁煙のマークがあった。
「ノノ、俺が煙草吸うことくらいわかってんだろ? 喫煙できる店を選べよ」
「すみません、一ノ瀬さんが喫煙されるかわからなかったもので」
子供のようにぶうたれる良一に、禁煙することで得られるメリットを説き始めるノノ。
すると良一が
「ノノ、お前も吸ってみたら? 痛みが消えるかもしれないぞ」
思わず言ってしまった。
「あんたが煙草辞めてみたら? ノノの痛みが消えるかもしれないし」
「俺の煙草は関係ないだろ?」
煙草そのものが関係ない、とは言えなかった。
メーカーでも分からない原因で症状が生じている以上、例えば『喫煙者が隣にいるせいで痛みが生じている可能性』なども考慮しなければならない。もっとも、そんなことを言っていいなら何とでも言える。幽霊がいるところで痛みを感じるんだ、とか。
「良一、ノノさんの稼働ログを送ってくれる?」
やるだけやってみようと思った。お腹の痛みが引いてるうちに。
ロボットの稼働ログと一口に言っても、その種類は無数にある。充電に関するログ、移動に関するログ、コミュニケーションに関するログ。
私はタブレット端末に表示されたリストを見る。全部を受け取るわけにはいかないので『ノノから私に提供できるログの一覧』を求めたところ、ざっと40種類を超える種類のログが並んだ。
「俺も見るだけは見てみたんだけどよ」
良一が申し訳なさそうに言う。何もわからなくて当然だ。ロボットのログは、一般の人には単なる記号の羅列にしか見えない。
とりあえず、メンテナンスが適切に行われているか、エラーメッセージが無効にされていないか、制御用ソフトウエアがきちんとアップデートされているか、そういった確認して当然の項目を確認していく。
問題ない。
そりゃそうだ。メーカーに問い合わせしているんだから。
コーヒーの匂いがした。タブレットを凝視したまま髪を耳にかけ、そのまま手をカップに伸ばす。
何も考えずに熱いコーヒーを流し込む。
すぐにお腹を締め付けるような痛みが襲ってきた。思わず呻きかけ、良一や他のお客さんもいる喫茶店の中であることを思い出す。奥歯をくいしばって耐えた。
「一ノ瀬さん」
顔を上げると、ノノが私の顔を見つめていた。
「あの、大丈夫ですか。顔色が優れないように見えます」
自分が情けないと思った。彼女の痛みを治すために来たのに、彼女に心配されるなんて。少しだけ意地になった。
「大丈夫。だいたいこんな感じだから」
「ツバサは昔っから青い顔してたな」
「静かに。……ノノさんはどう? 今は痛みを感じる?」
一瞬の間があった。
「お腹が痛いです」
「どのくらい?」
「結構痛くて、声を出したくなるくらい」
はあ? と良一が呆れたように言った。
「お前それなら早く言えよ。言ってるだろ、我慢するなって。どうする? 帰るか?」
「いえ、少しすれば収まると思いますので、お気になさらないでください。せっかく来ていただいたんですし」
と言いながら、ノノは華奢な手を腹部に当てている。
私はノノの触覚センサーのログを見てみた。アルファベットが、私には理解できない規則に沿って並んでいる。そもそも何が書かれているかすらわからなかった。が、異常なものを検知したというメッセージはない。人の場合、痛覚というセンサーを刺激されたときに痛みを感じるが、ノノにはその痛覚そのものがない。
次にノノの虚言を疑った。家庭用ロボットが持ち主の気を引くために嘘をついているとか。しかしロボットは嘘をつくことができない。なぜならノノのようなタイプのロボットは『自分が何をしようとしたか』を記録するように作られている。そしてその記録は閲覧可能だ。
ログの一覧の中から『意思決定ログ』の提供を求めた。タブレットの中に、ノノという知能が"考えていること"が文字となって流れ出す。私は時間を止めると、スクロールして過去の記録を見た。
ノノと私が出会ったときのログを。
状況:一ノ瀬さんがたい焼きを持っています。顔の血色がよいとはいえません。顔面の筋肉に緊張が見て取れます。姿勢に前傾の傾向があります。周囲には通行人が多数います。一ノ瀬さんの背後に少女が立って――修正、それは『青い目の少女』という名の彫像です。(省略)
対応:一ノ瀬さんの健康状態を確認しましょう。
状況:一ノ瀬さんに怪我の有無を尋ねたところ、「大丈夫」との回答がありました。姿勢は直立。周囲には通行人が多数います。子供が親を探す声がします。切迫度は低。(省略)
対応:子供の声のモニタリングをサブタスクとして継続します。
考察:一ノ瀬さんが嘘をついている可能性は低いと思います。嘘をつく利益がないからです。しかし依然として、誰かが痛みを感じています。
状況:周囲の通行人に仮名A~Jを付与して観察。いずれも外傷は見当たりません。子供は親と会えたようです。
対応:子供の声をモニタリング対象から除外します。良一さんを観察しましょう。
状況:良一さんに外傷は見当たらず、行動パターンに乱れはありません。
考察:しかし依然として、誰かが痛みを感じています。
これだ、と思った。
――誰かが痛みを感じています。
ログを更新させる。先ほどのやり取りの間にノノが"考えていたこと"が表示された。ある専門家は、それは『後付けの実況解説のようなものであって、ロボットの思考そのものではない』というのだけれど、それは人間の『頭の中の独り言』だって同じではないかと私は思う。
状況:一ノ瀬さんがコーヒーを飲みました。タブレット端末を操作する指が止まり、呼吸のパターンが乱れました。目が見開かれ、顎に力が入りました。入り口でベルが鳴りました。二名分の足音が店の中から外へ。視界内に人間は2名、良一さんと一ノ瀬さん。
対応:一ノ瀬さんの健康状態を確認しましょう。
状況:一ノ瀬さんから「大丈夫」との回答がありました。
考察:しかし依然として、誰かが痛みを感じています。おそらく腹部。強い痛み。
原則:人の痛みを看過してはなりません。
私はタブレットから顔を上げると、店の天井を仰いだ。木目の付いたおしゃれなパネルで覆われている。それから深呼吸をしてノノを見た。白い光沢のある肌に、喫茶店の暖色の明りが反射している。
私はロボットに向かって言う。
「ごめんね、嘘ついた」
「嘘ですか?」
「全然大丈夫じゃなかった。さっきからずっとお腹が痛くて」
「私に何か、お手伝いできることはあるでしょうか?」
「これから私が言うことを復唱して欲しいんだ」
「はい、復唱します」
「痛みを感じているのは一ノ瀬翼である。鹿島ノノではない」
宝石のような目を持つロボットが、唱えた。
「痛みを感じているのは一ノ瀬翼である。鹿島ノノではない」
「痛みは感じる?」
ロボットのカメラアイは完全に制御されている。その心を推し量ることは、私には難しい。
それは頷いた。
「収まりました。痛くありません」
つまりどういうことなんだよと、蚊帳の外にいた良一が不満げに言う。
「ノノは治ったのか? これから先も痛みを感じずにいられるのか?」
「それを保証することは私にはできないんだけれども……多分大丈夫だよ」
「お前が痛みを感じているのとノノが痛みを感じていることに何の関係があるんだ?」
「なんて言えばいいのだか……」
私が言葉を探していると、ノノが錠剤と水を持ってきてくれた。
「整腸剤です。よろしければ」
「ありがとう」
ノノには痛覚がない。でも、人の痛みを感じようとする意思と能力はある。それはメーカーが与えたものだ。家庭で人間をお世話をするロボットには、人の痛みを察知する能力が必要だ。
だけどそれは万能なものではない。街中で呻き声を聞いたとしたら『誰かが苦しんでいる』ことは予想できるだろう。だけど『誰が苦しんでいるのか』はわからない。それを理解するためにはかなり高度な推論がいる。人間の子どもにはできる――人間でも成長しなければできない――高度な推論。
ノノは普段、こうした予想を繰り返している。誰かが呻いた、誰かが痛がっている。遠くで異様な音が聞こえた、事故が起きたのかもしれない、それならきっと誰かがけがをしている。しかしそういう予想から「誰が痛みを抱えているか」を推理することは難しい。最新鋭のロボットでも。ロボットだからこそ。
そして問題が起こる。
「部屋の中には、ノノ、良一、翼しかいません。
そして、状況から察するに、誰かが痛みを感じているようです。
良一に聞いたところ、彼は痛みを感じていないと言いました。
翼に聞いたところ、彼女は痛みを感じていないと言いました。
部屋には三人しかいません。
そして、誰かが痛みを感じているようです。さて、誰が痛みを感じているのでしょう?」
私はそう言って、良一に目配せする。
「わかるか」と良一。
「そう、人だったら『わからない』と言っておしまい。でも、ノノはおしまいにできない。ケアが必要な痛みを感じている人がいるのなら、それが誰なのか明らかにしなければ。それが家庭用ロボットだから。でも、良一ではない。翼でもない。実は翼が嘘をついたのだけど、そんなことは知る由もない」
「だから、自分が痛みを感じている、と?」
「そう言うことになる」
今度は良一が天井を見上げる番だった。
「んな馬鹿な」と彼は言った。「そんなことってあるか? 信じられん」
私はこういう他にない。
「これ以上のことは、メーカーに相談するのがいいんじゃないかな」
多分、もっと良い言い方があるとは思う。
人の痛みがわかるロボット――完
コメント
おおっと。
主人公の"翼"は、弱いところがあって、それゆえにロボットの弱くて完全になれないものとうまく親和しているように感じます。
だから、直接、状態を見ることになったときも、
>会うことになった。
という表現を自然と使っていて、丁寧に書かれた小説であると感じます。
普通の人が普通に過ごしていることや考えることができていることを、『当たり前』と無意識の領域で処理せずに、丁寧に処理していく必要がある"翼"だからこそ、
ロボットハンドラーという仕事を務めることができて、そして、それは、理解されないという結末に至る。素敵な物語でした。
作者は、ヒヒヒさんです。