火を見つける
作業場は、鉄道駅から少し離れたところにあった。蒸気と煤けた煙を吐き出して、列車が遠ざかっていく線路沿いを、通い慣れた様子で労働者が歩いていく。しばらく歩くと、踏切があり、その向こうに白い建物が見える。それが作業場だった。 作業場の扉を開けると、奥の方まで見渡す限り閑散としていた。整然と並べられている作業用の台。置かれているはずのタイプライターはすでに半分以上がなく、それを打ち込む人も疎(まば)らだった。入り口の両側に木箱が置かれていて、工場長がそれを持っていくよう、顎を動かしていた。 「よう、欣哉(きんや)。」 定位置の作業台に空の木箱を置くと、同僚の男、芳一廊が欣哉の肩を叩いていた。 「芳一廊か。」 「片づけたものは、あそこだぜ。」 芳一廊の目線の先には、木箱が既にうず高く積みあがっていた。欣哉は鞄をいつものように机の下の取っ手に掛けると、それから、キーボードをカチ、カチと思いつくままにいくつか押した。それは、就職してから10年以上、ずっと、この場所に響いていた音であった。あの頃、仕事というものを選べることを知らず、紹介されるままに面接にやってきて、そして、「明日から来てくれ」と工場長が言うままに、働き始めた。雨が降っても、風が吹いても、あの、線路沿いの道を歩いて、この作業場に通った。それが10年にもなる。それが、終わるのだ。一日中、カチカチ、カチカチと、歯車がそのように回るように、地面にあたって、雨が生まれるように、生きている時間が、刻まれるように。この場所に、骨をうずめるのだと思っていた。それは、あるとき欣哉をひどく悩ませていた事柄だった。しかし、若者とはそういう性質の生き物であり、その炎は、やがて収まっていくものなのだと、理解できるようになっていった。 「ここ、データセンターになるらしいぜ。」 「データセンター?」 聞きなれない言葉に、欣哉は首を傾げた。 「コンピュータから送られてきたデータを、溜めておく場所のことらしい。」 「コンピュータ、というのはなんだ?」 耳慣れない言葉が、欣哉を不安にさせた。何か得体の知れないものが、やってくるのだ。 「さあ・・・。詳しくは分からないが、自分で考えることもできるタイプライター・・・みたいなのを新聞で読んだな。」 「なんとも、奇天烈な代物だな。」 「外国では、すでに使われ始めているらしい。なんでも、それがあると、月に行くための道だって、計算できるとか。」 「月に・・・? 竹取物語じゃあるまいし。」 思わず、持ち上げようとしていたタイプライターを落としそうになって、欣哉は慌てて机に戻した。 「それが、どうも本当らしい。向こうでは、人を月に送る計画が進んでいて、哺乳類を宇宙まで飛ばすことは成功しているらしい。」 「宇宙に・・・飛ばす・・・? 大砲で・・・か・・・?」 それを聞いて、芳一廊が人目を気にして声を抑えながら、背中を震わせて笑い出した。 「馬鹿なことをいうな。乗り物に載せるんだ。その乗り物は、空(くう)を蹴ることができるらしくてな、雲を越えて、その先まで飛んでいけるそうだ。」 「その外国から、データセンターというものが入ってくるのか・・・。」 「どうやらそうらしい。」 欣哉は、タイプライターを信号ケーブルから外して、木箱に入れた。反応が少し悪いローマ字の「A」や、改行するときに、少しコツがいるレバーが木箱の底で眠りにつくのだ。宇宙へ行くような外国が入ってくるならば、これはもう、滅びゆく仕事だったのだろう。欣哉は、ふいに息苦しさを感じて、胸を抑えた。 「おいおい、大丈夫か?」 背中をさすってくれている芳一廊に、手で礼をして、それから尋ねた。 「芳一廊は、これからどうするんだ?」 「おれか? おれは、実家の紡織を手伝おうと思っていてな。」 紡織というのは、布を織る作業のことだ。綿を育て、糸を紡ぎ、縦に横に機(はた)織り機に糸をかけて布を織っていくのだ。 「機械を大分前に導入しててな、最初に設定をしてやれば、手を出さなくても勝手に布がでてくるんだ。楽な仕事だよ。」 「そうか・・・。」 「お前も誘ってやれたら良かったんだが・・・。母さんに相談したら、『人間は、そんなにいらん』って、さ。」 「いらん・・・か。」 欣哉は言い知れぬ不安が背筋に冷たくあるのを感じていた。それは、単に外国が入ってくるだけのことではなく、あるいはそれによって仕事がなくなることを意味するのではなく、それは・・・宇宙が迫ってくるような、そういう息苦しさのような何かだった。 「ああ、別に、欣哉のことがいらんって、ことじゃなくて、一般的に、人手が足りてるってことでな・・・。」 「大丈夫だ、分かってる。」 「おれも、まだ小さかったから、ちゃんとは覚えてないけどな・・・うちも、機械を導入するとき、作業場に並んでいる今までの機織り機と、働いていた機織りのおばちゃん達とたくさん、お別れしたと思う。覚えてないけど、可愛がってくれたと思う。だって、作業場に遊びに行くのは、好きだったから。」 「そうか。」 木箱に詰め終わったのを確認して、欣哉はそれを積み上げられた木箱のどこかに、置いた。 作業台まで戻ると、芳一廊は、給料受け取りのための書類を書いていた。欣哉も、木箱と引き換えにもらったその書類に、必要事項を書いていく。 「・・・月に行ったとして。」 「ん? ・・・ああ。」 「暮らし向きはどうなる?」 「そうだな。生きてなどいけないのかもしれないな。」 「送られた哺乳類はどうなる?」 「酸素がなくなるまで生きて、死ぬんだろうな。月は、ハビタブルゾーンではないからな。」 「ハビ・・?」 「これも新聞の受け売りだけどな。」 芳一廊は、新しい言葉を覚えたばかりの少年のように、得意げにそれを説明してみせる。居住可能領域(ハビタブルゾーン)。それは人間が暮らせる場所を表す言葉だった。 欣哉の頭の中には、タイプライターの雨の音がまだ鳴っていた。アナログ情報をデジタル情報に変換する仕事をしている、と説明を受けた。だが、分からないものを、分からないままにしていたのだ。仕事を遂行するうえで、必要のない事柄だった。考えることを求められていなかった。じりじりとその居場所が包囲され、狭まっているとも気付かずに・・・。 「・・・わたしたちは、これから、どこへ行けばいい・・・。」 書類を出せば、当然、明日からは賃金が支払われない。あの道を通って、ここに来ることもない。ペンを持ったまま、欣哉の口から出た言葉はようやく実感が伴ってきて、情けないことに、震えた。 芳一廊は、その様子をそばに感じながら、作業場の天井を眺めて言葉を探した。 「明日のことは分からん。だが、働けない年じゃない。新しいことを始められない年じゃない。やるだけ、やってみるのさ。」 「やってみる・・・。」 「頭で考えてばかりだと、きっと勝てない。宇宙とか、データとか、空想の土俵で勝負しなくていい。現実の側に、おれたちは立っているからな。」 欣哉は、芳一廊を見た。その目は少し赤く、揺れているようだった。 「炎のようだな。」 欣哉はふっと笑って、そう言った。 「え?」 「揺らめいて・・・変わらないものなどないのなら、それを良い方向に運ぶのが生きるということなんだろうな。」 「なんだ。まあ、きっとそういうことだ。」 何故か少し嬉しそうにこちらを見ている芳一廊の瞳の奥に、揺らめきながらも、決して簡単には消えない命の灯し火が見えた。 ――人は、その営みの形を変えながらも、生き続けていくのだ。 欣哉はその灯し火が、自分の中にも燃えていることを信じた。 これまでカチカチと、規則正しく進んでいた時間が、大きく揺れ始める。しかし、夜闇を照らす灯し火は、やがて大きく命を燃え上がらせ、立ち昇る情熱の炎に成長していくのだ。 そんな未来を胸に抱き、欣哉は作業場を去っていった。
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