舞い込み願い出
なんだ、これ。
金曜日の仕事が終わって土曜日には休日を迎えるある晩、暮らすアパートに帰り着いた紫音はポストを開けて違和感をまず持ったのだった。
白地にパステルカラーのさり気ないイラストが描かれた葉書が一枚入っていた。
そもそもポストを開けたのも惰性に過ぎず、新聞の類いの購読はしていない。
eメールどころかSNS・メッセンジャーサービスの過渡期である現在においては友人との連絡は勿論、電子機器で行う。
葉書など舞い込むはずがない。
可能性としては商売者からのDM葉書があったが、それらは往々にして商品写真があるか、或いは決まったブランドの定型とでもいえるもの。
ポストの葉書はそのどれらとも違っていた。
なんだ、これ。
手を伸ばしながらも紫音が胸中で呟いていたのは、そんな昨今の社会事情にも依る。
そして今。
部屋に入り鞄を置き、なんとなくそこで持っていた葉書をぺらりとめくりとりあえずはと文面を目にした紫音は軽く背を仰け反らせた。
「なんだ、これ!」
三度目は唇からはっきりとした音として発される。
それほど驚いたのだ。
紫音が見開けるだけ大きく広げて見開いたまなこで見ている葉書の面には、こんな文字達が列を為していた。
『先日は夏期休暇の土産物をありがとう。おいしく戴きました。』
そこまでは違和感を持ったままの目でもどうにか追えた。
確か漬物三種類を小さくまとめた、消費しやすいものを選んだはずだ。
『ところで、私は貴女が好きです。良かったら男女の恋人として交際をしませんか。』
文面の半分に至る前から目がぴくぴくとわなないた。驚きは意識するよりずっと深く心底から強く湧いたらしい。半ば第三者的に紫音は自分の身体が起こす反応を感じていた。
『いつものLiNeに、お返事お待ちしております。――十文字徹哉』
葉書の差出人は隠さず名前を名乗っていた。
それは紫音が今日ついさっきまで見ていた顔のものだ。
宛先面にもきちんと記入が為されていて、そういえば引越しの手伝いをしたっけ、と半ば呆けるような思いで書かれた住所と、もう一度、名前を見る。
十文字徹哉、入社以来5、6年の付き合いがある2歳ばかり年上の同期。
確かにそれは書類の端々にあるメモと同じ筆だったし、社内回覧のチェックなどで見慣れたもので間違いようがなかった。
LiNeだってそうだ。
帰宅する途中で確認していたものに仕事関係の連絡をしあっていたし、再来週の社内部署でのバーベキュー会については買い出しの時間や落ち合う待ち合わせ時間などの……事務的で、それでいて楽しい雰囲気の言葉を交わしていた。
だのに。なんで。
紫音は、十文字徹哉という同期を会社内での友人だと思っていた自分を発見する。
「……なんだ、アイツ」
驚きが過ぎ去り困惑が露わになったと自分でも感じられる声が漏れた。
十文字は、この葉書について一言も話をしていない。
困惑しきった紫音は、安易な手を選んだ。
即ち、逃げだ。
そうしなければ金曜日の夜をとてもじゃあないが越せないような気がしていた。
だから葉書を手帳に挟んでベッドの枕元に置き、ぱっと見には写らないようにした。
軽い夕食を調え、味付けの妙にまばらなそれを微妙な遅さで一口一口運び、咀嚼さえもいつもより丁寧にした。
そうでもなければ驚きに襲われそうだったから。
友人とのSNS会話や、入浴や、ほんの気休め程度の化粧水や、夜にしなければならなかったあれやこれやも、紫音はなんとなく淡々と片付ける。
今日は早めに寝よう、と彼女は決めていた。
十文字のことについては明日、改めて考えればいいのだ、とも、決めていた。
そうなのだ。彼女にとって明日は休みだ。
十文字を――明日、いっぱい、考えればいい。
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