日常 | 文字数: 1785 | コメント: 0

感情の行き場所

(あ、なんか泣きそうだ)  彼女はふと、そう思った。涙が出そうだ。声をあげて、泣いてしまいそうだ。  しかし一つ疑問がある。今、特に何かをしているわけじゃない。  辛い事が起こっているわけじゃない。感動的な作品を見ているわけじゃない。  それなのに、何故?考えてもその答えを得るには至らず、気のせいだと思いなおして彼女は大きく深呼吸をした。  最近、多いのだ。突然叫びたくなったり、泣きたくなったり。  でも、その時に何かが起こっているわけではない。なので、そういう時は一度落ち着く為に大きく深呼吸をして気持ちを落ち着ける。  そうやることで、そんな気持ちは薄れていき、いつも通りになる。 「今日は何をしようかなぁ」  部屋で横たわり、彼女は何気なくそんな事を呟く。誰もいない部屋。  誰かに話しかけているわけでもないのだが、口に出す事は少なくない。意味が無い行為なのは知っている。  それでも、不意に何かを呟きたくなるのだから、それは仕方ない。  漫画も読む気分じゃないし、外に遊びに行くには微妙な時間だ。携帯電話に新しい着信も無いし、こちらから誰かに話しかけるにしても用件が無い。  寝よう。それが暫く思案した彼女の答えだった。  それでも、すぐに眠れるわけではない。ただ目を閉じて横になっているだけ。パジャマにも着替えていないし、きっとこのまま寝てしまえば、起きたら服はしわだらけ。  まあいいか。  そう思い、布団をかぶる。そうすると、また心の中に起こる泣きたい気持ち。 (ああ、なんだろ、これ。本当に最近多いなぁ)  深呼吸をしようとして、ふと気付く。私は最近、いつ泣いたのだろうか。  いつ叫んだだろうか。いつ怒っただろうか。いつ……笑っただろうか。  友達との会話や、面白い事があれば笑っていると思う。でも、そういう事じゃない。  心の底から、笑ったのはいつだろう。遠慮せず泣いたのはいつだったか。  苦しい時に助けを求めたり、これだけはどうしても伝えたいと叫んだ事は?  どうしても許せない事には、立ち向かって怒った事は。  無い。ああ、いや、無いわけじゃない。子供の頃にあった。  考えなしの子供の頃は、泣きたければ泣き、怒りたければ怒り、笑いたければ笑っていた。  まあいいや、なんて考えずに。  今の私みたいに、嫌な事を堪えて作った笑顔で過ごしたり。  そういうものは無かった。  大人だから?大人なのだから、我慢しなければならない、と。  そう言われたのはいつ頃だったからか。  どうしても許せない事があり、怒りを露にした際に、周りは口々に言った。  そんなに怒る事は無い。いい加減に許してやれ。  私はもっと怒りたかった。泣きたかった。叫びたかった。  しかし、それはしてはいけないのだと学んだ。大人なのだから、この感情は我慢すべきなのだと。  必死に飛び出そうとする感情に何十も鍵を掛けて押さえ込み、それが当たり前となった。  それが当たり前なんだと思った。  でも鍵は何度も叩かれれば老朽化し朽ちて、新しい鍵もまた歪んでいく。  抑えた感情が、溢れ出そうとしていたのだ。  今は何も無い。何もそんな事は無い。  しかし、過去の抑えこんできた出来事、想いが次々と浮かび上がってくる。  駄目だ。もう終わった事なのだ。こんな事で叫んだり泣いたりしてはいけない。  それでも心の中の行き場の無い感情は、何度も鍵の掛かった扉を叩いてくる。このまま我慢してはならないと。もっと吐き出せと。  でも、それでも。  理由が沢山頭に浮かぶ。してはならぬ理由が沢山。  それでも、扉を叩く音は強くなっていき、その鍵は壊れる。 「……どうやって、泣くんだっけ?」  ふと、呟く。  扉の鍵を壊した感情は、いつかまではあった出口すらも無い部屋で、止まった。  どうすれば、あの頃みたいに素直に笑える?  どうすれば、あの頃みたいに想いのままに怒れる?  どうすれば、あの頃みたいに我慢せず泣ける。  どうすれば、あの頃みたいに…………  鍵を掛け、本音を吐き出す出口すら無くした彼女は、 「まあ、いいや」  そう、思うしかなかった。

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