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私と彼女の話 (2)

「文化祭まで、あと何日だっけ。」  一時間と少しの練習を終えて、部室前のベンチに腰掛けたナナがつぶやく。お互い練習で疲れ切っていて、一旦ここで休んでから帰るのが、いつもの流れだった。 「んー、あと二週間、かな?」  私は指折り数えて答えてから、 「・・・まじか。もう二週間か。」  自分で言って驚いた。もう本番までそんなに時間がないのか。 「あっという間だったね、ここまで」  そうだね、と答えかけて、ふと疑問に思いナナに尋ねる。 「それは、連弾の練習を始めてから?それとも、軽音に入ってから?」 「んー、どっちも。」  会話がそこで途切れる。  部室からは力強いドラムの音と、歪んだギターの音が響いていた。次の練習は、確か三年生の後輩たちのバンドが入っていたはずだ。 「上手くなったよねー、ユウちゃんとか、アキくんとか。」 「ほんとに。入部したての頃はあんなに覚束なかったのにね。」 「子供たちの成長は、あっという間ですなあ。」  ほーっと息を吐きながら言うナナに、思わず笑ってしまう。 「ナナ、おばあちゃんみたい。」 「いやー、おばあちゃんっぽさならハルだって負けてないよ?」 「どういう意味よ、それ。」  そう言って笑いあってから、お互いにふっと遠くを見る。 「私たちも、最初はひどいもんだったよね。」 「ねー。思ったとおりの音が全然出せなくて、ハルに泣きついたことあったなあ。」 「泣きつかれた私も全然わかんなくて、逆切れしたりして。」  もう、遠い昔のことのように思える。私たち四年生は、文化祭を最後に引退だ。 「もう四年、経ったんだな・・・。」 「ねー・・・。早いね。」 「私、今でも忘れてないから。部活に入ったばかりの時、いきなりナナがメタルバンドのCD貸してきたこと」 「もー、またその話?もう時効にしてよー。」 「ほんと、もうびっくりしたんだから。こんな大人しそうで、クラッシックしか聞きません、みたいな見た目してるのにさ。」 「うう、もう。でも、今はハルもメタル大好きじゃん。」 「おかげさまで、すっかり染められましたわー。」 「ふふ、染めてやりましたわー。ライブも行ったもんね。」 「あー行ったね!駅のコインロッカーに上着入れていったら予想以上に寒くてさ。」 「そうそう、しかも思った以上にライブハウスが駅から遠くてねー。」 「でも盛り上がりすぎてさ、帰りは全然寒く感じなかったんだよね。」 「帰りの電車、二人で爆睡したもんね。懐かしいなー。」  そんな思い出話をしている私たちの間を、風が吹き抜けていった。寒さに体を縮めたナナが言う。 「じゃ、そろそろ帰ろっか。」  うん、と返事をしながら、私はまだ若干過去に思いを馳せていた。  私にとって、彼女がかけがえのない存在になったのはいつだっただろう。  ナナと二人で並んで、坂をゆっくりと下る。二人でも、一人でも、もっと大勢でも。今まで何度も登って、下った坂。ナナはあまり歩くのが速い方ではない。隣を歩くと、いつも私が自然とペースを合わせる形になっていた。この坂をこうやって二人で歩けるのは、あと何回だろうか。最近、そんなことを考えるようになった。その度に、この時間がずっと続けば良いのに、と思ってしまう。もっとゆっくり、ゆっくり。 「あれ、どうしたの、ハル。」  珍しくちょっと遅れて歩いている私を、ナナが不思議そうに呼び止める。 「んー。もうすっかり、秋だなって思って。」  すっかり黄色くなった木々を見上げながら、私は答えた。 「だねー。でもちょっぴり肌寒いこの空気、結構好きかも。」 「あ、私も。」  ふふ、と楽しそうに笑いながらナナが続ける。 「秋ってさー。」 「うん?」 「いつの間にか涼しくなったかと思えば、気がつくと過ぎ去っちゃっていて。」 「うん。」 「いっつも、秋服を出したりしまったりするタイミングが、分からなくなっちゃうんだよねー。」 「あ、分かるかも。」  ナナにつられて笑いながら、私も返す。 「でも、そんなちょっとしか着れないからこそ、いっそう愛おしくなったり。」 「あ、そうそう!やっぱ分かってるね、ハルは。」  ナナとの会話は、いつも取り留めがないけれど、ちょっとした幸せにあふれている。改めて、ああ、こういうとこだな、と思う。私が彼女を大好きなのは。  この坂の下についてしまったら、私たちの向かう方向は逆だ。実家暮らしの彼女は、駅のある右に。私は、一人暮らしの家がある左に。この幸せな時間は、そこまで。あと、何回あるかも分からない、この時間。この会話。  私の心に一つの染みが、ぽつり、と垂れる。 「・・・ねえ、ナナ。」 「んー?」 「この後さ、ご飯、行かない?」  何てことないように、私は切り出した。でも、心臓は早鐘みたいに高鳴っている。断られたらどうしよう。誘われて嫌じゃないかな。忙しくないかな。この前も、練習終わりにご飯に誘ってしまった気がする。あんまり誘いすぎるのは、彼女にとっても負担だろうか。  返事が来るまでの、おそらく数秒間。その間に私の心臓は、一体何回脈打っただろうか。普段の何気ない会話なら、なんてことなく話せるのに。こうやって自分から誘うのは、いつもバカみたいに緊張してしまう。  多分、拒絶されるのが怖いんだ。それが、たとえ一時的なものだとしても。 「うん!いいよー、行こ行こ。」  さらっと返されたその言葉に、私は飛び上がりそうなほど嬉しくなる。その気持ちは心の奥底に大切にしまいこみ、笑顔を作って私は答える。 「嬉しい。じゃあ、どこ行こっか。」  多分、彼女は気づいていない。私がこんなに、彼女の所作で一喜一憂していることに。いつも間にか、私は自分の感情を隠すのがとても上手になってしまった。  だって私は、彼女と同じだけの好きでいたいから。お互いの好きが同じくらいだから、心地よい関係でいられる。どちらかの好きが大きくなりすぎたら、きっと天秤は壊れてしまう。 「うーん。どうしよっか。」  ナナが考え始めたところで、こういうのは誘った側が提案するべきなのでは、と我に返り、私は慌てて頭の中のお店を検索する。二人でよく行く喫茶店は、確か今日は定休日だったはず。お財布に優しいパスタ屋さんも、お気に入りのお蕎麦屋さんも、彼女の向かう駅とは逆方向だし。ラーメン屋さんっていうのも、ゆっくり話したい今の気分にそぐわないんだよな。  そこで、私の頭に妙案が浮かんだ。うっすらと口元に笑みを浮かべながら、私はナナに提案する。 「じゃあ、駅前に新しくできた、カフェに行ってみようよ。あそこ、チーズケーキが美味しいんだって。」 「あ、そのカフェこの前行ったの!ハルも好きそうな、良い感じだったよ!」  その言葉に、私の笑みは硬直した。  そうか、そりゃそうだよな。だって、あのお店がオープンしたのは、もう一ヶ月くらい前だ。オープン直後には、結構話題になっていたカフェ。カフェ巡りが好きなナナを、彼が誘ってないはずがない。 「あー・・・っと。コウ先輩と?」 「あ、えっと・・・そう。」  ちょっと照れたように彼女が答えた。少しはにかんだ幸せそうな顔が、私にはどうにも眩しくて、直視できなかった。 「そっか、流石。お目が高いね。」  動揺を悟られないように、私は必死で言葉を紡ぐ。 「あ、チーズケーキ、美味しかった?」 「ううん。メニューに美味しそうなオムライスがあってね、それが思ったより大きくて。おなか一杯になっちゃって、食べれなかったの。」 「あらら、そっか。じゃあ、今度リベンジだね。」  残念そうに言う彼女にそう言ってしまってから、しまったと気づく。 「あ、それなら今日・・・」 「あーっ、じゃあさ、今日はあそこにしようよ!」  私は咄嗟に、ナナの言葉を遮ってしまっていた。自分から言い出しておきながら、今の私はそこに行きたくない気持ちのほうが、ずっと強かった。  どうしても、彼の影を感じるから。きっとナナは、前来た時のことを楽しそうに話すだろう。そして私も、それに何てことない顔をして相槌を打つだろう。  想像しただけで、胸がきゅっと痛くなった。そんなことを考えてしまう自分のみっともなさにも、嫌気が差した。 「えと、あそこって?」  急に大きな声を出した私に、困惑したようにナナが言う。 「・・・えっと」  私は言いよどんでしまう。あそこって、どこだ。私が聞きたいくらいだ。様子のおかしな私に、彼女が困惑の表情を浮かべているのを見て、私は慌てて口を開く。  結局、口から出てきたのは、ありきたりなファミレスの名前だった。 続く

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