日常 | 文字数: 2241 | コメント: 0

呪縛

  細長い白い煙がのぼっていた。私はのぼっている白い煙を目で追う。
 白い煙はある程度のぼると小さい蛍光灯に当たる。
 白い煙は蛍光灯に当たり形を変える。蛍光灯の光と白い煙は混ざり合い。その姿を徐々に薄くして消えていく。
 私は目を下にして白い煙を出してる物を見る。
 先にカウンターでありその上に灰皿があり白い煙を出している煙草がある。
 私はその煙草を摘み口にする。
 白い煙は形を崩したがまたすぐ細長い白い煙に戻る。
 
「お客さん。また、始めたのですか?」

 声が聞こえた。若い声である。

「まあ、仕事が行き詰ってなあ」
「そうですか......」

 若い声は何かを言いたそうであった。
 私は煙草をゆっくりと吸う。肺にじっくりと煙草の煙が充満することが感じる。
 カウンター反対側からグラスの磨く音が聞こえる。
 私はその音を聞きながら肺に充満した煙草の煙を吐く。
 白い煙が大量にのぼる。形が幾つも変わり無機質な生き物に見えた。

「いつからこの仕事を」

 私はグラスを磨いてる若い男を見た。
 小さい蛍光灯から見えたのは、黒いワイシャツ。短い黒い髪。髭は剃ってる。
 清潔を売りにしてるバーテンに見えた。

「半年前からです」

 若い男は言った。

「このマスターに弟子入りする形で店員をやってます」

 言い続けるが石像が話してるような感じに聞こえた。

「そうか」

 私はそれだけを聞くと口を閉ざす。若い男もグラスを磨きながら口を閉ざした。
 短い沈黙が続く。

「なぜ、お客様はこの店に来たのですか?」

 若い男が急にグラスを磨くの止めた。

「なぜと......」

 私は煙草を灰皿に置いた。

「分かってます。私がなぜこのような職を選んだのか。それが心配で来たのでしょ」

 若い男はグラスを置いて私を見る。
 私も若い男を見る。
 目と目が会う。
 一瞬だが、妻を思い出した。この若い男の目は妻に似ていた。
 妻の目は二重で小柄な顔だった。とても綺麗で自分には勿体なかった。

「呪縛と言う物でしょうか。この世では言葉では説明できないものがあります。自分は酒が嫌いです。しかしなぜかこの酒を取り扱う仕事についてしまった」

 若い男は私を見るのを止め、背を向き、何かを振り始めた。シェイカーでシェイクをしているのだ。
 私は若い男の後ろ姿をじっと見ていた。
 妻の後ろ姿を思い出す。キッチンで料理をしている時の後ろ姿。

「呪縛」

 私は呟いた。若い男の動きは変わらない。
 私の呪縛は妻をキッチンドラッカーにさせた事。この若い男を施設に行かせてしまったことだった。
 若い男の動きが止まった。シャイカーを持ちながらこちらを向き直り、カクテル用のグラスに赤々としたカクテルを注ぎ、私の前に出す。

「トマトで割った。ブラッディ・マリーになります」
「妻が好きだったものだな」
「はい」

 カクテルのグラスを取り、赤々としたカクテルを見る。
 酒の匂いが漂う部屋。そこで酒瓶を持って倒れてる妻と大きな声で泣いてる子供。
 赤々しい色から見えてきた光景である。
 私はその光景を思い見ながら一気に飲む。
 口の中で何かが広がる。
 
 後悔 懺悔 謝罪
 
 それを何度、口にしたかしかし、すべては飲んでいる酒の如く流れ去る。

「うまいな」
「ありがとうござます」

 若い男は口を歪ませる。しかしどこか棘がある。

「しかし、これでもマスターからはまだまだと言われてます」
「まだか?」
「バランスが悪いと言われますね」
「そうか......」
   
 バランス。私は妻と子供を幸せにするために仕事にせいをだしていた。仕事が多ければそれだけお金が入る。しかしいつかは仕事のために働いていた。妻と子供をほったらかしにして。バランスが取れてなかった。
 そのために妻はキッチンドランカーとなり重い肝硬変となった。
 私は妻の病気を治す為にさらに仕事にせい出す。しかし気がついた時には自分すらも分からない妻と施設に暮らしてる子供だった。
 
「このカクテルは私に取ってみれば呪縛そのものだとおもいます。あの時の酒の匂いが今で思い出します。嫌でした。しかし同時に懐かしいものも感じます」
「複雑」
「はい、言葉では表せませんから呪縛なんです」 

 私は灰皿にある煙草を手にして口にする。若い男はまた背を向けシャイカーでシェイクをし始めた。
 私は何度も仕事を辞めて妻と子供と暮らそうと思ったが、もう遅いと思った。高額の治療費と子供の進学の資金を稼がなければならなかった。
 自分の中でもう一つの呪縛を作ってしまった。
 煙草を吸いながらそう思った。もう少しバランスを考えていれば誰も呪縛に陥れなかった。

「お客様。私は貴方を許せません。しかし、貴方の頑張りは理解できます」

 若い男はカクテルのグラスを私に差し出す。

「今日だけです。父さんと呼ぶのは」
「ああ。それで十分だ」

 私は煙草の灰皿に置きカクテルのグラスを手にする。一口飲む。呪縛は続く、立ち止まることもできない。しかし今日だけは互いに止まろう。

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