日常 | 文字数: 3085 | コメント: 0

新たな光

 森を歩いていると、10歳くらいの男の子と出会った。  周りに、親らしき人物はいない。  生い茂る木々の中、僕と男の子2人きり。  自分のこれからのことよりも、男の子が心配になり「親はどうしたの?」と訊いてみると、俯いた。 「お母さんは?」 「いない」 「お父さんは?」  すると、山頂を指差し「あそこにいる」と答えた。 「どうしてここにいるの?」小さい子が親と離れているのを不思議に思った。 「暇だから」 「お父さん、心配するんじゃないの?」 「大丈夫。どこに行っても、どこにいるか分かるから」  すると「すみません」と声をかけてくる1人の男性。「ご迷惑おかけしました」  この男の子の父親がどこからともなく現れた。 「いえいえ。ぼく、もうお父さんと離れちゃダメだよ」そう言い聞かすと「じゃあね」と男の子は手を振り、もう一方の手をお父さんと手をつなぎ、山道を歩いて行った。  2人が見えなくなり、僕は提げていた鞄から、ロープを取り出した。  40半ばで会社をリストラされ、そのことを知った妻は、離婚届を書置きし、息子を連れて家を出て行った。  職も妻も、癒しだった最愛の息子も失った人生に嫌気が差し、自殺しようとここの山に訪れた。  丈夫そうな太い枝を探し、輪っかを作ったロープを結ぶ。  少し引っ張り折れないことを確認すると、その木に上り、輪の中に首を通す。  深呼吸をしてから、木から飛び降りる。  喉が詰まり、息ができなくなった瞬間、重さに耐えきれなくなったのか、枝が折れ、尻から地面に着地する。  もう一度、太い枝を探し、何度も引っ張り折れないことを確認し、自殺を図る。  しかし、また折れる。  もう一度、太い枝を探し、輪っかの中に首を入れようとすると、先程の男の子が現れる。 「おじちゃん。何してるの?」 「いや、ちょっとね」  枝に括り付けられたロープを隠すべく、慌てて木から飛び降り、男の子に近づいて体で隠す。  そんな様子を遠くから見ていたのか、お父さんが忽然と現れ「やっぱり、そうだと思いました」と言ってから、男の子を僕の前から離れさせた。 「私に何かできることがあれば、なんでも協力しますから、話を聞かせてもらえますか?」  僕は今日までのことを洗いざらい話した。 「それで、もうこの世に未練はないと」 「あるとすれば、もう一度、息子の顔を見たいですかね」 「息子さんは今、何歳ですか?」 「あなたの息子さんと同じくらいです」  だから、話しかけたのかもしれない。息子と重ね合わさったから。 「もう、会えないんですか?」 「何度も妻に、あ!もう離婚したから妻ではないんですけど、会えるように説得したんですけどね。ダメでした」 「それ以外は、未練ないですか?」 「まあ、ないですね。だから自殺しようとしたんですけど」  すると、お父さんは懐から1本のペットボトルを取り出す。  中には透明な液体が入っている。水だろうか? 「まあ、これ飲んで落ち着きなさい」そう言って、僕に寄越した。  訝しがっていると「さっき汲んできたものなので、私は口にしていません」  毒が入っているかもしれない、そんなことを思ったりもしたが、先程、首吊って自殺しようとしていたのに、そんなことを危惧していても意味がない、という思いもあった。それよりも、自殺の緊張が少し和らいせいか、喉が渇いていたので、キャップを外し、勢いよく飲んだ。  すると、徐々に喉仏辺りが熱湯を飲んだみたいに熱くなり、地面に蹲った。  声が出ない。  すると、熱さが和らいでくると同時に、今度は急激に冷たくなった。譬えるなら、液体窒素を飲んだような状態になり、次第に意識が薄らいで行った。 「……大丈夫ですか?……大丈夫ですか?」
 微かにお父さんの声が聞こえ、目を覚ます。
 「僕に何を飲ませた」
 「私たちの、生活用水です」
 「はあ?」
 「まあ、ちょっと来てもらえますか?」 言われるがままお父さんに付いて行くと、山頂に連れて来られた。
 すると向かいの山から「やっほー」という女性の声が聞こえ、隣に立っていたお父さんが、全く同じ声色で「やっほー」と叫んだ。
 何が起きているのか理解できない。
「何してるんですか?」
 「何しているって、これが私の仕事です。お金は出ませんが」少し笑う。
 「やっほー、と叫ぶことが?」
 「ええ。何せ私『谺(こだま)』ですから」
 「コダマ…ってあの?」
 「ええ」
 「じゃあ、この子も?」
 「いや、この子はまだ」
 「なぜですか?」
 「谺になるためには、先程、あなたが飲んだ『レイスイ』を毎日飲まないといけないのですが、でもこの子はまだ、レイスイを飲んだときの苦しみに耐えきれる丈夫な体を持っていないため、飲ましていません」
  お父さんは、地面に『霊水』と書いた。
 「じゃあ、あれを飲んだ僕は……」
 「はい、谺です」
 「はあ?」もう訳が分からなかった。
 しかしお父さんは話を進め「今度、聞こえてきた言葉を、何も考えず繰り返し発してみて下さい」
 するとまたもや、向かいの山から「やっほー」と女性の声が聞こえ「やっほー」と意味も分からずに言うと、自分で発したにもかかわらず驚いた。
 今まで出したことのない声が出た。 それは、向こうの山から聞こえた女性の声と全く同じ声だった。
 「凄いじゃないですか。初めてにしては、センスありますよ」
 「おじちゃん凄い!!」
 「これって、あの水を飲んだから?」
「ええ」お父さんは頷いて答える。 
「でもコダマって、山の反響ですよね?」
 「まあ、そうですね。そのように思うのも無理ありません。何せ、私たちの存在は、人の目からは見えませんから」 
「つまり、幽霊ってことですか?」 
「まあ、近いですね。今では、木の霊と書いて、コダマ、と読んだりもするくらいですから」
 「じゃあ、僕の姿は」
 「はい。私たちにしか見えません」 
「どうしてくれるんですか。これから僕は」お父さんに詰め寄る。
 「どうするも何も、あなたここで自殺しようとしていたんですよ。もうこの世に未練ないっていうから、新たに生きて行く方法を私なりに与えた訳じゃないですか」
 「この世に未練なんてないって、これじゃあ息子に会えないじゃないですか」
「現に、会えなかったんでしょ?それに、人に姿が見えないんだ、これでいつでも会えるじゃないですか」
 言われてみると確かにそうだ。姿が見えない。つまり、透明人間になったのと同じなのだ。
 「確かにそうだ。この姿なら、いつでも好きなときに会える」
 「ここはいいですよ。木の実はありますし、動物もいますし、川は流れていますし、食べ物に困らない。これから長い付き合いになりますが、どうぞよろしくお願い致します」
 すると男の子も「おじちゃん。よろしくね」と握手を求められ、応じる。  人生を諦めようと入ったこの山で、知らない父子(おやこ)と出会い、訳の分からないまま、新たに『谺』として生きて行くことに。 僕はこの日から第二の人生、いや、第一の霊生が始まり、今日もどこかの山で「やっほー」と叫ぶのであった。

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