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私と彼女の話 (5)

 ファミレスで長々と話し込んでしまい、いつの間にか外はすっかり日が傾いていた。こうして練習で顔を合わせているとはいえ、最近はお互い忙しくて、なかなかゆっくり話をする暇なんて取れない。話せば話すほど、さらに話したいことがどんどん出てきて、私たちの会話はいつまでも終わらなかった。  こんな日々があと少しで終わってしまうなんて、未だに信じられない。でも、その時がくれば、案外あっさり別れてしまうものなんだろう。こんな気持ちは、きっと今だけのものだ。  夕方になっていっそう冷たさを増した風に、二人して身を縮める。駅までは歩いて五分もかからないが、この寒さはなかなか堪える。自然と私たちの歩みは早足になった。 「うわあ、夕日がきれい。」  歩きながら、空を見上げたナナが言う。 「ほんとだ、空が真っ赤。」 「夕日ってさ、じっくり見てると、何だか切ない気持ちになるよね。」 「黄昏時、ってやつか。確かに、不思議だよね。」  そこで言葉が途切れて、赤々と輝く夕日に見とれる。お互いに無言でも苦にならない関係は、本当に心地よいと思う。  夕日に照らされているナナの横顔を、こっそりと盗み見る。まっすぐと夕焼け空を見つめている、その瞳。彼女はこの空に、何を思っているのだろう。彼女の横顔に、なんだか色んな想いが溢れそうになってしまって、慌てて目を逸らす。  きっと、夕日のせいだ。  正面には、もう駅が見えていた。夕方は、一番人が多くなる時間帯だ。忙しなく歩く人々が、様々な会話を交わしていて、喧騒を作り上げていた。その喧騒を聞きながら、ぼんやりとすれ違う人たちを眺める。  スーツに身を包んだお兄さん、私たちと同じような大学生、手を繋いだカップル、買い物帰りのお母さん・・・。  私たち二人は、他の人から見たら、どう見えているんだろう。私は、どう見えていて欲しいと思っているんだろう。  そんなことを思っていると、母親に手を引かれた小さな女の子が、ハンカチを落としたところが目に映った。女の子も母親も、落としたことに気づかず、歩き去ろうとしている。 「ハル、あれ。」  さっきまで夕日を見ていたナナも、同じことに気づいたようだ。ナナよりも母子の近くにいた私は、ハンカチを拾って母親のほうに声をかけた。 「あの、落としましたよ。」  私が手に持っているハンカチが、娘のものだと気づいたのだろう。 「あっ、すみません!ありがとうございます。ほら、タクちゃん。」 「あー!それタクの!」  タクちゃん、か。女の子に見えたけれど、どうやら男の子のようだ。タクちゃんは、プーさんが描かれた黄色いハンカチを大事そうに握り締めていた。 「ほら、タクちゃんも、お姉ちゃんにありがとうって」  そう母親に促され、男の子も言う。 「おねーちゃん、ありがとー。」  私は少し苦笑しながら、どういたしまして、と返しておく。未だにこういった時の対応には困るな、と思っていると、男の子が私に向かってぺこり、と可愛らしいお辞儀をしてくれた。あまりにも可愛らしいその仕草につられて、私もついお辞儀を返してしまう。なんだか気恥ずかしくなって後ろを振り返ると、ナナが案の定くすくすと笑っていた。 「何よ、その顔は。」 「ううん。別に。ハルちゃんは可愛いなあって。」  ナナのその言葉に、私は複雑な気持ちになる。からかっているのは分かっていたが、その言葉になんて返せば良いのか分からなくなってしまって、私はつい黙り込んでしまった。いつもだったら、適当な軽口で誤魔化せるのに。  私の沈黙を誤解したのか、ナナは 「え、お、怒った?ハル、ごめんね?」  とあたふたしていた。その仕草があまりに可愛らしくて、思わず笑ってしまう。 「そんなに慌てるくらいなら、最初からからかったりしなきゃいいのに。」  そう言ってナナの頭にぽん、と手を置く。 「怒ってないよ。ちょっと、考え事してただけ。」  ナナはほっとしたように息をついた。その素直な感情が、仕草が、たまらなく愛おしく感じる。 「ほら、あんまもたもたしてると電車乗り遅れちゃうよ?」  私の言葉に、ナナは腕時計を確認する。 「あっほんとだ。」 「それじゃあ、また来週の練習でね?」 「うんっ。またね!」  手を振りながらパタパタと改札の奥へ消えていくナナを見送りながら、 「またね、か。」  と小さくため息をつく。  ナナと別れた途端、相変わらず忙しない駅の中が、なんだか急に静かになった気がした。自分を取り巻く周囲だけが、しん、と冷え切ったような感覚。  駅には相変わらず大勢の人がいて、各々会話を交わしている。その声が、膜を張ったように遠く聞こえた。  改札の前で、大学生らしきカップルが何事か話しているのが見える。背の高い男の人が、女の人の頭にぽん、と手を置いた。女の人は嬉しそうに笑うと、手を振って改札へ入っていく。男の人は手を振り返しながら、去っていく彼女を愛おしそうに眺めていた。  まるで、さっきまでの私たちみたいだ。ぼんやりとそんなことを思ってしまってから、私は慌ててかぶりを振る。そもそも、こんな風にジロジロ人のことを見ているなんて、失礼極まりないだろう。  自責の念も込めて自分の頬を軽く叩くと、パチン、と泡が弾けたように、周囲が音を取り戻した。どれくらいぼんやりとしていただろう。時々こうして所構わず物思いにふけってしまうのは、私の悪い癖だ。踵を返そうとしたところで、周囲の声に紛れて、 「おーい」  という聞き覚えのある声が、どこかから聞こえた気がした。しかし、この喧騒の中では、誰が呼びかけているのかも、誰に向けられたものなのかも分からない。気のせいかな、と思い駅を出ようとしたところで再び聞こえたのは 「おーい、マサハル!」  間違いなく、私を呼ぶ声だった。  振り向くと、そこにはさっきまで店員をやっていたマコトの姿。ファミレスの制服ではないものの、随分とラフな格好をしていた。 「おつかれ。バイト、終わったんだ?」 「おう。お前らあれからずっと喋ってんだもんな。びっくりしたわ。」  言われてみれば、知り合いのいる店内に長時間居座るというのも、なかなか恥ずかしい。これからは駅前のファミレスを使うのは控えよう。 「あー、うん。ゆっくり話せるのが久しぶりでつい、ね。」  私が曖昧に返すと、マコトはまたニヤニヤし始めた。 「あの子、マサハルの彼女なんだろ?」  多分、この話がしたくて彼は声をかけてきたのだろう。  私と彼女のことをよく知っている人達は、いちいちこんな風に勘繰ったりはしない。面と向かってこう聞かれるのは、随分と久しぶりな気がした。  カナ先輩といい、マコトといい、どうしてこんなにも人の色恋沙汰に興味が持てるのだろうか。別に、否定するつもりはない。話のきっかけになるだろうし、真剣に話せば、彼らは相談に乗ってくれるんだろう。  けれど、私のことは、そっとしておいてほしかった。  言葉にしてしまった時、初めて人の想いは現実になる。心の中から出さなければ、それは存在しないのと同じだ。  だから私は、嘘をつき続ける。 「・・・そういうのじゃないよ。」  笑顔を作って、答える。 「ただの、友達。」  こうしてはっきりと口に出すのも、随分と久しぶりな気がした。  私の言葉に、どこか納得がいかないように、ふうん、とマコトが言う。 「それにしては仲良さそうだったけどなあ。」 「友達なんだから、仲が良くたっていいでしょ。」  少しムキになって返す私に、マコトはいつもの調子で笑った。 「普通、女友達とあんなに仲良くなれないって。お前、見た目が女っぽいからってずるいわ。」  まるっきり的外れな、彼の言葉。鈍く重たい音が、頭の中に響いた気がした。私はなんとか笑顔を貼り付けて、口を開く。 「・・・ともかく、変な勘ぐりはやめてよね。それじゃ、私帰るから。」 「お、それじゃまたな、マサハル。」 「ん、また」  またね、と言おうとして、途中で口を噤む。そのままマコトに軽く手を振って応え、私は駅を出た。  外に出ると、辺りは既に暗くなり始めていた。心なしか、風も強くなっているような気がして、私は身震いする。  朝よりも、ずっと寒い。震える体をぎゅっと抱きしめる。  まっすぐ家の方に向かおうとして、大学に自転車を置いてきてしまったことを思い出し、私は向かう方向を変えた。  目の前に広がっているのは、数時間前にナナと二人で下ってきた坂道。長い坂道を早足で登りながら、先ほどのマコトの言葉を反芻する。  顔にはまだ、先ほど作った笑顔が張り付いたままだった。 「・・・本当に。」  泣き笑いのような表情で、ぽつりと呟く。その言葉は、喧噪に紛れて消えていった。 「ずるいなあ。」

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