みっつの涙
教室で、肘をついて聞いている私。もうすぐ死ぬ。こっちを見る先生。あっと言う間に死んでもらうことになる。先生だけじゃない。世界中の人間は、もうすぐ死ぬ。親友の鞆ちゃんも、私によく吠えついてくるブランドンも、みんな、みんなだ。 * 「お迎えにあがりました」 ガスマスクに背広、そしてゴーグルという完全に怪しい石田さんがいた。最早ギャグでやってるとしか思えない。いや、そうなのだ。この石田さんは、この危機的状況を和ませるために派遣されたに違いない。意味が分からなかった。 「えっと、あのさ」 私は、怒りにも似た笑いをこらえながら後ずさる。 「ルイちゃん! 一緒に途中まで行ってもいい?」 振り返ると、鞆ちゃんが膝に手を当てて大きく息をしていた。ガスマスクが苦しそうだ。 「うん、一緒に帰ろ」 私もくぐもった声で答えた。 扉を開ければ、トンネルだった。 「行きの通路、使えないの?」 いつもと違うコースだった。 「ブランドン、悲しむね」 鞆ちゃんが隣を歩いている。 「・・・浸水です」 石田さんがボソリと答えた。 鞆ちゃんが立ち止まる。私の足も止まっていた。 「またなの!?」 叫んでいた。それは随分と遠くまで響いたように感じた。 * あの日、南極で何かが見つかったらしい。それを奪い合ったとも、それを破壊するために、各国がコバルト爆弾をこぞって撃ち込んだとも言われるが、少なくともその結果、蒸発した氷塊は猛毒の雲となり雨となり、降り注ぐことになった。政府は、洪水対策用の地下水路を国民に開放したが、老朽化も進んでいた。水がしみ出せば、隔離、隔離、そして隔離・・・。 「追い詰められたネズミだよね、私たちってさ」 鞆ちゃんの声でハッとする。 通路に声はもう響いていなかった。鞆ちゃんがブランドンの死を悼んでいる。一方私は怒っていた。私の父は、何をやっているのだ。首相第一秘書とはその程度なのか。その程度なのだ。ああ、そうだ。娘を放り出し、何日も帰ってこない。離ればなれになって行方不明の母も探し出せない父親だ。それが、この国の、一番前のほうを走っているのだ。 「ねえ、石田さん」 私は呼ぶ。 「なんでしょう」 「もう、皆死ぬよね」 私はため息をついた。諦めてはいけない立場なのに。 「お嬢様、とにかくこちらへ」 そう言って私を小部屋へと引っ張り入れる。 「ねえ、死ぬんでしょ」 「それは・・・」 「私、調べたんだ。ウランの半減期って7億年なんでしょ?」 隣で鞆ちゃんが息をのむ。 「お嬢様、しかしですね、ウランの大部分は爆発時に崩壊しているので・・・」 「でも、死の灰は降ったのよね」 空は確かにどす黒い雲に覆われたのだ。 「降りました、ですが・・・」 「放射性物質には催奇性があるって聞いたわ。頭が2つある人間とか、脚が3本ある人間とか、これから生まれるんだわ」 「確かに生まれるかもしれません・・・しかし・・・!」 石田さんの顔が真っ赤になっていた。事実なんだ。図星をつかれると、人は真っ赤になるんだ。私は私を止められなかった。誰も教えてくれなかった。私も、首相第一秘書の娘として、やれることがあるのではないかって、調べた。調べれば調べるほど、闇は拡がっていった。膨れあがった闇は、もう自分の中に押しとどめておくことは、出来なかった。 「だから、もう、みんな死ぬんだよね!」 「ルイちゃん!」 鞆ちゃんが私を抱いていた。温かかった。鞆ちゃんがいると、私は少しだけ落ち着いていられる。目を閉じようとして、涙が大きく零れて頬を伝っていった。 「大丈夫、大丈夫だから・・・」 祈りのような言葉。鞆ちゃんの身体も震えていた。 「我ら、チクワの子。“地上の 苦しみから 分かたれん” 安心してください」 石田さんも落ち着いたのか、胸につるした筒のようなモノを握って、そんな意味不明なことを言っていて、私は少し笑えた。 * その後、野生化した犬が地下に押し寄せ、その駆除と狂犬病の隔離によって、人はさらに減った。学校に来る人も日に日に減ったけれど、私と鞆ちゃんは欠かさず通った。きっとそれはおかしくならないための儀式だったんだ。 ある日、首相による緊急発表が行われた。それは、宇宙船による脱出計画だった。『落涙』『涕涙』『浄瑠璃』の3機の宇宙船にて、テラフォーミングが進む火星を目指すこと。燃料には限りがあるため、ホーマン軌道を通り、約8ヶ月の旅になること。すべての人間を連れて行くことは出来ないこと。コールドスリープの適正のない人間は抽選から外れることが発表された。 「いい名前だよね」 鞆ちゃんがそんなことを言った。 「え?」 ニュースを一緒に見ていた私には意味が分からなかった。 「宇宙船の名前」 「そうなの? 私、本とか読まないからなあ・・・」 降参、とばかりに手を振って見せた。 「涙ってさ、目に入ったゴミを洗い流すんだよ」 「うん・・・」 たぶん、それはゴミだけじゃない。行き場を失った感情だって、溢れるんだ。私はあのときのことを思い出していた。鞆ちゃんがギュッと抱きしめて、大丈夫だと言ってくれた、あの出来事を・・・。 「だからさ、涙に載って、この地上の苦しみから分かたれん、とするんだよ。私たちは」 「・・・ええ?」 私の記憶にチリチリと何か一瞬、亀裂が走った。 「だからね、我ら、チクワの・・・」 そう言う鞆ちゃんの、胸の辺りに握られた手には、 手には、筒のようなモノを握っていた。 「かして!」 奪うようにそれをつかんでじっと見る。それは、少し茶色く焦げた後のある・・・白い練り物を樹脂で作ったモノ・・・。 「チクワの子なの、私。石田さんに誘われて、チクワの子になったのよ。私は助かるんだわ。あなたの席はきっと最初からお父さんが用意してる。・・・だから、私たち、またずっと一緒にいられるね」 鞆ちゃんの声に、心がざわめき続けていた。 「違う・・・こんなの、間違ってるよ。間違ってる!」 私にはどうすることも出来なかった。親友の鞆ちゃんの相談に乗ってやることも出来なかった。一緒にいたのに。おかしくならないための儀式を毎日ずっと、一緒に繰り返していたのに。なのに、いつの間にか、鞆ちゃんは、おかしくなっていたんだ。いや、ちゃんと順応していったんだ。現実に向き合っていたんだ、私と違って・・・。 「・・・ねぇ」 そのときの私は、なにもかもがグチャグチャだった。だから、私は誰も彼もを失って、追い詰められたネズミのようだったのかもしれない。ネズミが隙間に入り込んで、何もかもをめちゃくちゃにして、最後に猫を噛むように・・・。 結論から言うと、私の反抗は失敗した。気が付いたときには宇宙船の窓から外の景色を眺めていたし、扉には外から鍵がかかっていて軟禁状態だった。当たり前だ。もう一機の脱出用宇宙船の存在を暴露し、ハリボテで動かない『浄瑠璃』に政府要人をすべて残すチクワの計画を公表し、そして、父をチクワから解放するつもりだった。あのとき、 「お父さん!」 宇宙船のデッキからこちらを眺める父の顔。疲れた顔だった。久し振りに見る顔だった。その顔のまま、胸に下げた筒を口に当て、音のない笛を吹いた。途端に四方八方からガスマスク達が現れ、私は意識を失ったのだ。 「さて、まずは鞆ちゃん、それからお父さん・・・かなぁ」 私はティッシュペーパーを耳に詰めて、胸に下げられていたチクワのひもを引きちぎった。 出来るかは分からない。無理かもしれない。 だけど、諦めたくはなかった。
(いいねするにはログインが必要です)

コメント
コメントはまだありません。