旧祭り | 文字数: 3749 | コメント: 0

蘇る横浜市

 新月の夜。街は、燃え盛る炎に照らされていた。

 勇は妻の瑞葉を背負いなおすと、倒れたビルを迂回して、進んでいった。

「日本は負けたのね」瑞葉が言った。

「たぶん共倒れだ。敵の攻撃も止まった」

「宇宙に逃げた奴ら、堕ちたみたいね」

「だが、俺たちは生きてる」

 勇は歩き続けた。



 丘の上に立つと、壊滅した都市が見下ろせた。

 力なくあたりを見回していた勇は、ある一帯に目を止め、叫んだ。

「見ろ、街だ」

 見下ろす先に、無傷の街があった。

 高い壁に守られたそのエリアの中では、ビルが立ち並び、工場が稼働している。

 炎が空を暗く焦がす中で、その街だけは煌々と輝いていた。

 勇の背中で、瑞葉が息をのんだ。

「あの攻撃に耐えたの?」

「違う、たぶん、蘇ったんだ」

「蘇った?」

「聞いたことがある。

 戦争に勝つために、自己再生能力を付与された都市があると。

 爆撃されて焦土になっても、中心核さえあれば、そこから都市が再生する」

「そんな馬鹿な」

「とにかく行ってみよう」



 その街は周囲を高い灰色の壁に覆われており、中に入るには門を通らなければならないようだった。

「誰かいますか」

 勇が門の前で呼びかけると、どこからともなく柔らかな声が答えた。

「こちら横浜市です。担当者不在のため、行政用AIが回答致します。ご用件は」

「中に入れてほしい」

「戦時中のため、市民以外の入市を制限しています」

「避難民だぞ」

「横浜市への転入手続きは可能です」

「それをしたい」

「それではあなたの転出届、指紋、マイナンバーを提示願います」

「転出届はない。マイナンバーも焼けてしまった」

 しばらく間があった。

「戦災を理由とする書類の省略が認められました。

 マイナンバーは口頭でおっしゃっていただければ結構です。どうぞ」

 勇の顔が不安で曇った。

 勇は、12桁の数字を言い切ることができなかった。瑞葉も同じだった。

「本人確認ができません。情報を揃えた上で、またお越しください。

 こうして夫婦は、壊滅した都市のさなかに取り残された。

 新月の夜のことだった。街を焦がす炎に照らされて、あたりはどうしようもなく暗かった。



 勇と瑞葉は、大地が放つ毒を避けるために海へ出て、2人の子をもうけた。

 それから十数年後。

 両親が亡くなった後も、子供たちはたくましく生きていた。

 船の上で星を数えて眠り、魚を追う暮らし。



 ある日、漁をしていた2人の近くに、オレンジ色の救命ボートが漂ってきた。

「捕まえよう!」

 妹の瑞希に急かされて、姉の泉は帆を張り直した。

 ボートに人は乗っていなかった。

「食べ物の箱だ。空っぽだ」

「靴だけ置いてある」

「こっちはリュック」

 泉が中を漁ると、いくつかの日用品、小さな指輪と一緒に、カードが出てきた。

 泉はカードを読んだ。

 漢字はいつか必ず使うからと、両親から徹底的に叩き込まれていた。

「氏名、あかばねみつき」

「呼んだ?」瑞希が手元をのぞき込んでくる。

「違うよ。月がきれいって意味の美月。お前はみずき。瑞々しい希望だってさ」

「えーっと、仮発行。要、指紋と写真再登録。マイナンバー通知カード」

 二人はその瞬間、顔を見合わせて叫んだ。

「マイナンバーだ!」



 父親が事あるごとに言っていたのだ。

「マイナンバーさえあれば、お前たちをもっと幸せにしてやれたのに」



 二人は横浜市へと船を走らせた。

 傾いた日に照らされてキラキラと輝いているのは、横浜ランドマークタワー。

 その足元に見えるのは、巨大船と見間違うような大さん橋。

 それをよけて南へ進むと、公園が見えてきた。

 海を見渡せるようにベンチが置かれているが、人間がいたことは一度もない。

 街路樹にクワガタが張り付いているのが見える。整備用ロボットだけが周回する公園。

 人の腰までしかない低いフェンスの上で、たくさんの海鳥が羽を休めていた。

「ここから市内へ入れればいいのにね」瑞希が呟く。

 昔、ここから侵入を試みた勇は、左足を撃たれて帰ってきた。



 遊覧船乗り場の隣に、臨時入管が設置されていた。

 小さな部屋の中に、市内への立ち入りを制限するゲートがあり、その前に受付機がある。

 機械の前に立つと、AIの優しい声が聞こえた。

「ご用件をどうぞ」

 泉はマイナンバー通知カードを握り締めながら、震える声で答えた。

「転入手続きがしたいです」

 もう何度も試した手続きだった。いつも「書類不足」「保証人不足」で却下された。

「マイナンバーはお持ちですか?」

「あります!」

『みつきさん、勝手に使ってごめんね』

 泉が胸中で呟きながらカードを掲げると、AIは言った。

「こちらは仮登録カードです」

「え」

「指紋登録が必要です。機械の前に立って、手を広げてください」

「あたしじゃま?」

 脇に避けようとした瑞希を、泉が止めた。

「お前が登録しろ」

「え、あたし?」

「カードは一枚だけだ。横浜市民になれるのは一人だけ」

「姉さんはどうするのさ」

「お前が市内に入って、何か探せ」

「何かって」

「何かだよ。予備のカードとか、市長の許可証とか」

「そんなのわかんないよ。姉さんが行ってよ」

「バカ。ろくろく船も動かせないくせに」

「漁ならあたしのほうがうまいけど」

「いいから言うこと聞け」

 泉はそう言って、機械の前に瑞希を押し出した。

「あっ、ちょっ」

 フラッシュが光って、写真撮影が終わる。

「本登録完了。転入手続きを再開します。

 転入が認められました。赤羽美月様、横浜市へようこそ」

 機械から発券された市民証を、泉は瑞希へ押し付けた。

「行け、行けったら」

 妹の背を押し、入管ゲートへ押し込む。

「姉さんはどうするのさ?」

「私は、海鳥でも捕まえながら待ってるよ」

 ゲートが作動し、妹の姿が境界線の向こうに消える。

「大丈夫、絶対大丈夫だから!」

 そう叫ぶと泉は背を向けて、建物を飛び出した。



 船に戻ると、日はとっぷりと暮れていた。

 暗い水面に、横浜市の落とす光が揺れている。

 見せるものとて誰もいないのに、この街は、いつも夜になると明かりを灯すのだ。

「これでよかったんだよね、父さん」



 それから7日が経った。泉は横浜市の近くで漁をしながら、妹の連絡を待った。

 妹はちっとも姿を見せなかった。

 8日目の夜、泉が船を公園の側に寄せると、背の低い柵の向こうに人影が見えた。

「姉さん!」

「瑞希!」泉は叫び返した。「何やってたんだ、さすがに心配しただろ?」

「ごめんごめん」と言って頭をかく瑞希の様子は、普段と少し違う。

 新しい服に着替えていたのだ。海水に汚れたぼろ布とズボンではなく、真っ白なブラウスに綺麗なスカート。

「すごいもの手に入れたよ」

 と言って彼女は、銀色の身分証を捧げた。

「横浜……市長!?」

「ええっとね、市民が1名以上になったため、臨時市長選を開始します。

 候補者一名のため、自動当選と致します。って、AIが言ってた。

 待たせてごめんね、市長ってめちゃくちゃ書類書かなきゃいけないんだよ」

 おかしいね、と言って笑う瑞希。

「ってことは、お前」

 おほん、と瑞希がもったいぶって咳をする。

「AI、いいよね」

 公園のどこかから、あの優しい声が聞こえてきた。

「どうぞ」

 瑞希は言った。

「申請に基づき、転入手続きを行います。市長権限により、各種証明書は省略!

 それでは、お名前をどうぞ」

 苗字は私のと同じにしてね、とほほ笑む瑞希を見て、泉は涙をこらえられなくなった。

 父さんたちの夢が、叶うんだ。

「あかばね、いずみです。希望が泉のようにあふれてくるからって、父さんがつけてくれました」

「涙しか出てないじゃん」

「うるさい! 今それ言うか?」

 泉が怒鳴ると、瑞希は笑った。泉も笑った。

 笑いあう姉妹の上で、満月が輝いている。

 その日はとても、とても明るかった。

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