旧祭り | 文字数: 1620 | コメント: 0

ハービンジャー

 さてここは、深い森の中。日の光が木々の枝葉に遮られ、足元も見得ない場所。
 一人の兎が風呂敷を背負っておっかなびっくり歩いています。

「この森には恐ろしい魔女がいると言われる。あぁ、恐ろしい」

 兎の背には小さな小包。これをどこかに届ける途中のようです。
 その赤い目には何も見えてはいません。長い耳で拾う音と、枝葉が風で揺れて時折降り注ぐ月の光だけが標でした。
 
 雲が流れるほどの風が吹きます。一瞬だけ月の光が差し込み兎の身体を照らしました。
 それは、とても痛々しい姿でした。白い毛皮は傷だらけ、耳の先は千切れ、尻尾も噛まれて無くなったようです。
 月の光はすぐに遮られ、兎の姿は再び森の闇に溶けてしまいます。

「……届けないと、届けないと」

 小さいつぶやきが聞こえます。その言葉が兎を支えていました。しかし、もう時間は少ないのでしょう。
 だからこそ、危険であるとわかっていても兎はこの森を通り過ぎる決断をしたのです。
 
 警戒しながら、進む兎でしたが、その内が足が上手く動かなくなります。
 
「……休憩しよう。少し休めば、足も動くようになる。少しだけ、休むんだ……休めば大丈夫…」
 
 道の脇にある木によりかかり体を休めます。だけども、その体には休むだけの体力も残っていません。
 決して口には出しませんが、兎にもどういう状況かわかっていました。言葉ではなく涙が流れます。それは闇に消えて誰にも見えません。しかし、兎に興味を持つ者がいたようです。

「兎はこの森にはいないはずだがね」

 しわがれた声でした。まるで年取った木が倒れる時のような耳障りな声でした。その姿は見ることができません。
 足音も無く、声の主はおそらく兎の前に立っています。

「……あなたは魔女ですか?」

「森にすむ者を指しているなら、私しかいないね」

「そうですか……恐ろしい……」

 不思議なものです。暗闇で何もできない兎に少しだけ力が湧いてきました。誰かと話すということは兎にとって、とても大事なことでした。

「この森からは出れない。アンタはここで死ぬ。死んだら私が肉を喰ってやる」

「死ぬまで待ってくれるのですか、森の魔女よ……噂よりも恐ろしくはない方のようです」

「私は恐ろしいよ。誰もいない場所でずっと生きることができる」

 魔女は森の中で自分の顔も、誰かの顔も見ないまま過ごしていました。
 それは、とてもとても、恐ろしいことでした。

「それは恐ろしいことです。でも、誰かと話せることができてよかった。良ければ私の小包の中身を使ってください」

「……お前はそれを運んでいたんじゃないのかい? それはなんだ?」

「『私』です。私は自分を届けなければならないのです」

「何のために?」

「私の生きる意味を誰かに伝える為に」

「私は誰にも合わない、お前は私で終わる。残念だね」

「残念なものですか、魔女よ。私は進んでここに来た。私に意味はない、それでも私は伝える為に、進んできた。わかりますか魔女よ。私はこれまで進んできた道の最後にあなたに会えたのです。私は肉と毛皮だけの存在ではない、私はここまで自分で歩いて来たんだ。ありがとう、恐ろしい魔女」

 そう言って、兎は話すことができなくなりました。
 風が大きく吹き、月光が差し込みます。

 魔女は兎が背負っていた小包を丁寧に開きました。

 そこには、一枚の紙片と日記が一冊ありました。兎の旅路が書かれた日記と、手書きで書いたグチャグチャの地図。
 地図の裏には滲んだ字でこう書かれていました。

『月を見て、我が価値を問う。旅の終わりまで進み続けれたならば、私は貴方の先触れとなる。貴方の変化の先触れになる』

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