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ふーちゃん


 ふーちゃんとあたしは幼稚園から一緒で、小学二年生まで同じ教室に通う友だちだった。

 クラスみんなで三十二人、ふーちゃんとあたしが一番小さい、そう、ちびまる子ちゃんだったのだ。だから、よくはしゃいだりするので、笑う声は大きかった。今でも想い出せるくらいの声で笑った。名前は忘れちゃったけれど、先生は男の人で、国語の時間には童話や昔話をよく読んでくれた。

 先生のお話はスペシャル、登場人物をクラスのみんなの名前に置き換えてお話を読む。だから夢中になって聞いていた。グリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』、ホントはお兄さんと妹なんだけれども、そこはスペシャル、あたしがヘンゼルでお姉さん、そしてふーちゃんがグレーテルになり、物語の森を探検してお菓子の家を見つける。チロルチョコで出来た机、ドアノブは大きなボタンアメ、井戸をくみ上げるとオレンジジュースが出てきた。はしゃぎすぎたのか、ふーちゃんとあたしは魔女につかまり、必死に戦う。そして魔女をやっつけて家に帰る。

ドキドキしながらもラストで安心、なんて思うとチャイムがなっておしまい。その日、ふーちゃんとあたしは姉妹の気分、だから手をつないで家に帰った。

 「今日、遊べる?」

 「うん、遊べるよ」

 学校の帰り道に話は決まる。あたしは、家に帰るとランドセルを放り投げるように置いたかと思うと、すぐさま自転車に乗ってふーちゃんの家へと向かう。ふーちゃんの家は三軒が連なる借家の真ん中で、やさしいお母さんと身体のすごく大きいお父さん、三人暮らし。そして児童公園が目の前にあり、その公園はぐるりと松林に囲まれていた。松林を抜けるとすぐに白い防波堤があり駆け上がると蒼い駿河湾が見渡せる。だから風の音と波の音がいつでも聞こえた。カモメが飛びかう青空の下、あちらこちらから聞こえる歓声、ふーちゃんとあたし、思いっきり遊ぶのが毎日のきまりごとだった。

 でも、ふーちゃんとの別れは、さぁっと打ちよせる波のごとく、ふいに訪れる。

 工場で働いているふーちゃんのお父さんが機械にはさまれて大ケガをしたのだ。大きな病院へ入院するとかで、バタバタとふーちゃんは転校することになった。あたしは、どうしてもふーちゃんと遊びたくて、わるいかなぁと考えながらも声を掛けた。

 「うん、遊べるよ」と言ってくれたとき、すごくうれしかった。

 いつもの児童公園であたしがなぜか鬼の役。あたしがふーちゃんを必死に追いかける。ふーちゃんは、きゃぁきゃぁと黄色い声を出し、戯けながら逃げてゆく。ふーちゃんのお母さんが来て、なにかを言い終えるとふーちゃんは荷物を満載したトラックに乗せられた。

 車の窓ガラスに顔を押しつけて、ふーちゃんがなにかを言っている。

 あたしは『鬼』だから、ふーちゃんをつかまえるために追いかける。でも、ふーちゃんを乗せたトラックは止まらなくて、どんどん遠ざかり小さくなってゆく。あたしは何度もころび、何度も立ち上がり、ずっとずっと追いかける。

 やがて、あたしから見える世界のすべてが涙でにじんだ。


 あれから、平成が終わり大人になったあたしは東京で独り暮らし。恋人もいないし浮いた話もまったくない。だから実家に帰省してお正月を過ごす。元旦の午後、玄関横のポストへ見にいくと、輪ゴムで括られた年賀状が来ていた。大半がお父さんとお母さん宛だ。あたしの友だちはメールばかり。あたし宛の年賀状といえば、いろんなお店からで、少しがっかり。

 ところが形勢逆転、ふーちゃんからの年賀状を発見。小さな文字でびっしりと書かれていた。

 あたしは夢中になって読む。

 ふーちゃんのお父さんは事故のあと、大きな病院で何度も手術をしたけれど、亡くなった。その後、ふーちゃんはお母さんと二人暮らし、癒えることのない心の傷から逃げたり、叫んだりしながら生きていたようだ。

 同じ空の下、ふーちゃんとあたしは同じ年月をかけて大人になり、たくさんのものを得た。そしてたくさんの、たいせつなことも失っていたのだ。

 不思議だ。一行、読み終えて、また一行読み進めるたびに身体が小さくなっていく。気づくと、あたしは小学二年生の、ふーちゃんと遊ぶことを夢見るあたしに戻っていた。

 あぁ、あたしは『鬼』のままなんだ、と気づく。

 ふーちゃんめ、今度は絶対に逃がさない。地球の端だろうとも追いかけてやる。だから、待ってなさい!

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