日常 | 文字数: 3429 | コメント: 0

風人の話

風が吹いて屋根についている風見鶏が回ったら、手紙が届いた合図だ。 「手紙だ! きっとウェルバーのおじさんからだよ!」 「あ、待ちなさい! お行儀悪いですよ」 母さんの小言は僕の耳を風のように通り抜けていった。手紙より効果がない。僕は、たっぷりのマーマレードを塗った焼きたてのパンをくわえて屋根に続く窓を開けた。まだ朝焼けのオレンジ色が色濃く残っていて、それはいつもとはちょっと違う街のようで。そこに座っている人に一瞬気がつけなかったくらいだった。 「あ、すみません。少し羽を休ませてもらっています」 「あ、いえ・・・」 僕はいつも学校で発表する時みたいに、幾分か口ごもった。 それからそっとその人を盗み見ると、その人は、たぶん自分より少しだけ年上に見えた。 「すぐにいなくなりますので、秘密にしておいてもらえませんか」 その人は、自分よりずっと大人で、 「あ、はい・・・」 「そう・・・それは助かります」 ずっと優しそうで、 「いえ・・・」 「そろそろ行きます、・・・さようなら」 「あの・・・・・・お手紙ありがとうございます」 「・・・」 でも、羽の生えた人だった。 + 拝啓、おじさんへ。 こんにちは。羊の毛狩り、楽しそうです。今年はお母さんが許してくれなかったので無理ですが、来年はきっと手伝いに行きたいです。その時はきっと父さんにうちの自慢のパンを焼いて持たせてもらいます。 それから、おじさん。僕、昨日・・・・・・おじさんからの手紙を取りに屋根に上ったら、見ました。 「何してるの?」 ふと顔を上げれば、クラスメイトのアンサムがバット片手にこっちを見ていた。 「何って・・・見れば分かるだろ? 手紙、書いてるの」 「手紙?」 「そうだよ。悪い?」 僕は少しムッとして返した。糸電話が出来て、すっかり手紙は元気をなくしてしまった。 「悪くないけど、電話じゃダメなの?」 「手紙じゃなくちゃダメなこともあるんだ」 + カン。パス。 打ったボールは、真上に上がって、キャッチャーミットにすっぽり入った。 「バッター交代な」 後ろから声をかけられて、僕はバットを渡して、セカンドの守備についた。コン。情けない音がして、ボールがふわふわと僕のミットに舞い降りた。 「ナイスキャッチ!」 声をかけられた。僕はそんなにすごいことはしていないから、何で褒められたのか疑問に思った。 「よし、昼休憩にしよう」 コーチに声をかけられて、僕たちはベンチの前に集まった。 「お前、さっきのは危なかったな。もう少し注意しろよ」 「・・・はい」 さっきのというのは、空にめぐらせてある糸電話の線にあたりそうになったフライのことだろう。僕はそれよりももっと憂鬱な昼ごはんの包みを開ける。 「お前は、またパンかよ」 僕の父さんは厳しい。僕は早起きして、毎日パンを焼く特訓を受けている。でも、どれだけ早起きしても、父さんは僕より早く工房にいる。父さんはいつ寝てるんだろうか? 昼間は、母さんがお店を切り盛りしているから、その間に寝ているのだろうか? 「あんまり綺麗な形してないな。失敗作を息子のお弁当にしてるんだな」 「違うよ。これは、僕が作ったパンなんだ」 言い返してみる。自分の作ったパンだと思うと、少しだけ、恥ずかしくなくなる。父さんは悪くない。全うな人間だ。 + 「それにしても。・・・お前の守備の動き、ちょっとハンパないよな」 「そ、そうかな・・・」 「お前、実は羽でも生えてるんじゃないのか?」 「そ、そんなことないよっ!」 彼に対して、僕はついムキになって言い返してしまい、しまったと思った。 「お、ますます怪しいな」 「そんなことない」 僕が彼のポジションを取ってしまって、それから僕らの仲はトモダチ未満だった。 「あらら、もしかして図星だったりするわけ」 「ちょっとひん剥いてみようか?」 彼の仲間が調子付いて、そんなことを言い出す。いろんな思いを心の中に押し留めようとして、僕はきゅっと唇を結んだ。 そんなの、誰だって嫌に決まってる。からかう口実がほしいだけなんだ。 彼は、なにやらあらぬ方向を向いて、何かと話しているようだった。それから、 「ばかばかしいな・・・」 彼はそう言って、つまらなそうに仲間を見た。 「俺は自分の力でポジションを取り戻す。それに・・・・・・鳥の血を受け継いでるなら、いずれその羽を隠すことはできなくなるさ。その時、俺たちがやっぱりなって笑えれば、それでいい」 彼はそう言って、仲間を引き連れて、去っていった。彼はかっこよくなっていた。 僕は、肩甲骨の辺りをそっと撫ぜる。・・・僕はかっこよくない。羽の生えた人は忌み嫌われているのだ。 + 「君はそうやって何度も会いに来るけれど、本当は君たちに見られちゃいけないんだ」 僕が再び羽の生えた人に出会ったのは、それから少し経ってから。おじさんに出した手紙の返信が来た時だった。 「うん。でも、僕と君は、本当は全然変わらないと思う」 おじさんには、手紙で羽の生えた人に逢った事を話した。おじさんと僕だけの秘密。 僕は羽の生えた人って、聞いてるほど怖くないんだって思った。僕の友達より、怖くない。 「そうかな。でも、君たち人間が僕たちにしてきたことは、本当に大きなことなんだよ」 今度おじさんに手紙を書こうと思う。糸電話の線が張り巡らされた空は、彼らの自由を奪ったのだそうです。僕らは便利になったけれど、代わりに彼らは自由を失ったそうです。僕らは、どうしたらいいんでしょう。羽の生えた人にも聞いてみた。 「わからないよ。私にも。ただの羽の生えた人の一人に過ぎないから」 「僕も、羽の生えてない人の一人に過ぎないよ」 僕は何故かそう言った。それは、ひどく残酷な言葉だったかもしれない。世界なんて、生きているうちに変わったりしないのかもしれない。でも、いつかどこかのこういうところから変わったのかもしれない。僕らにはまだ早すぎたのかも、しれない。 + それから僕らは友達になった。屋根に上れば彼がいる。 ある日。羽の生えた人に僕の手作りのぼこぼこパンを手紙を添えてプレゼントした。 「手紙・・・僕に? 嬉しいな」 「読んでよ」 「ああ・・・もちろんさ。でも、どうして?」 「手紙じゃなきゃ言えないことって、あるんだと思う」 「ああ・・・」 その時、一陣の風が吹いて、母さんが顔を出した。 「誰かいるの?」 横を見ると、もう羽の生えた人はいなかった。僕は、母さんに笑いかけて言った。 「ううん。僕、ここから見る朝焼けが好きなんだ」 僕がそう言うと、母さんは、少し難しい顔をしてこう言ったんだ。 もう、羽の生えた人と話すのはやめなさいって。 その時、僕は何故だか分からないけど、あることに直感的に気付いてしまった。僕は、母さんを押しのけて、自分の部屋に戻った。羽毛布団に顔を押し当てる。それはなんだか懐かしい臭いがして、僕は声を上げて、わんわん泣いた。 それはきっといつからか気がついていたことだったのだ。 いつの日か、サンタクロースが心の中からいなくなるように、 いつか決まっていたことなのだ。 それから、母さんの言いつけ通り、羽の生えた人には会ってない。 僕のパンを作る腕は少しずつ上達していった。 ある日我が家にやってきた、差出人不明の手紙には、僕があの日気がついてしまったことが書いてあった。 僕はそのお礼に、パンを焼いて、そっとポストの下において眠った。 翌朝。パンは、すっかりなくなっていた。 それ以来、羽の生えた人とも一度も会ってない。もちろん、僕にはあの後、羽は生えてなんて来なかったと、言っておこう。 すると普通の人はこう考えるだろう。羽の生えた人は、本当にいたのかって。おじさんと同じで、実は最初から、あるいはどこからか途中で、いなくなってしまったんじゃないかって。 でも、僕には彼の存在を信じられる理由があるんだ。 何故って? 僕も羽の生えた人と同じで、風を感じることが出来るんだ。

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