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アホ毛を切って

 かわいげがないとよく言われる。そのたびにどうしようもない気持ちになる。五歳になる頃には確かにあったのだ、額に生えていた二房の毛は、間違いなく“可愛毛”だったと父さんが言っていた。だからそのまま成長すれば、姉のように、誰からも愛される人間になっていたはずなのだ。

 なのに、切ってしまった、父さんが、可愛毛を、私の可愛毛を、間違って。

 それ以来、私は誰から見てもかわいくない子になった。たいていは、可愛毛を切ってしまっても、もう一度生えそろうまで待てば元に戻る。なのに、私の可愛毛は戻らなかった。稀によくある、ありふれた悲劇。だから十六歳になった今、私はいつも不機嫌な顔をしている。



 姉の満智華はかわいい。妹としての贔屓目を抜きにしたってかわいい。その印象の半分は、姉の“本当の”可愛さから生じているけれども、もう半分は、姉の額に生えた“アホ毛”から生じている。

 その証拠に、風上から姉を見たときよりも、風下から姉を見たときの方がかわいらしい。だから姉はいつも、風向きを意識しながら生活している。不用意に風上に立つと、風下側から「かわいい!」と言う悲鳴が上がるらしい。

 ふざけんな。



 アホ毛とはなにか。正式な名称は(習ったはずだが)忘れた。その正体は、人間の額から生える二房の髪の毛で、しかしただの髪ではなく、周囲の人に強い印象を与える“器官”なのだと言われている。形は同じでも、性質は人によって異なる。

 一番有名なのが“可愛毛”で、これを持つ人は誰からも愛される。他にも“やさし毛”や“誇らし毛”等があり、それを持つ人たちは“実際”以上にやさしそうに見えたり、誇らしそうに見えたりする。

 遺伝についてはよくわかっていない。“気だる毛”を持つ母と“楽し毛”の父から生まれた私たち姉妹は、二人とも“可愛毛”を持っていた。成長中に性質が変わるかどうかもわかっていない。少なくとも私のアホ毛は、五歳でかわいらしさを失って以来、“ただの”髪の毛に変わってしまったらしい。

 何度となく姉に聞いた。「風下から見たときの私って、どう見える?」

 姉はあいまいにほほ笑むだけだった。「明日香は明日香だよ」

 ふざけんな。



「自分に都合のいい性質が出るまでアホ毛を切りづける、アホ毛がちゃ」

 と言うアイデアを口にしたら、西尾という先輩に「そういう発想がかわいくない」と突っ込まれた。

 かちんときた。

「いまなんて言いました?」と言って、机の上のはさみを手に取り、ちょきちょき鳴らす。部室の隅で他の部員がドン引きしているのが見えたけれど、いつものことなので気にしない。人に引かれたり避けられるのは慣れっこだ。

「じょーだんじょうだん。真に受けないでよ」と先輩。

「気にしてるんですからね?」

「じゃあ怒らないで笑ってみなよ。ほら、すげーかわ……ごめんはさみおろして。かえって怖い」

“親し毛”を持つこの先輩は“実際の”性格も人懐っこく、クラスで孤立している私にすら寄ってくる。嬉しいし、ありがたいのだが、それがかえって辛く、だからこそ邪険にしてしまう。

 にもかかわらず、先輩は私の相手をしてくれる。

 泣きそうだ。



「みーちーかー。お夕飯ー」

 部屋の戸を開けると、満智華はドレッサーの前に座っていた。すらりとした右手で、自分のアホ毛をつまみ、左手に持ったはさみで、毛を根元から切り落とそうと

「何してるの!?」

 思わず怒鳴ると、満智華がはさみを取り落とす。私はとっさにはさみを拾って、胸に抱いた。

「何考えてんの? なんで可愛毛切ろうとしての!? 戻らないことだってあるんだよ?」

 満智華は黙ってうなだれた。彼女の髪の香りがふと鼻先をかすめ、頭を垂れた姿が百合の花みたいだ、と場違いな連想が浮かぶ。満智華の“可愛毛”は今日も効果を発揮している、憎らしいくらいに。

「明日香にはわからないよ」

「わかるはずないじゃん。せっかくの可愛毛なのに! 失恋でもした?」

 大当たりだったらしい。満智華が肩を震わせ始めたの見て、私は面食らった。彼女は常に振る側の人間だと思ってた。

「満智華を振るような男なんて、いるの」

「タイプじゃない、って」

「はあ」

「スリルを感じる女が好きだ、って」

 スリル。満智華はどこか儚げで、男子は口をそろえて「守ってやりたい」と言う。恋人から感じるスリルが何なのかはよくわからないけれど、たぶん満智華からは得られないものであることは間違いない。

「そんな女いるの?」

 満智華が腕をすっと持ち上げて、思わぬものを指さした。

「私!?」

「あんたも知ってるでしょ。西尾祐樹」

 知ってるも何も、西尾先輩だ。部活でいつも会っている。

「あんたが好きなんだって。あんたの前に立つと、抜き身の刀の前に立つようで、それがたまらないんだって」

「意味分かんない。ただの女子高生相手に、どうしてそんなビビるわけ?」

 言いながら答えが分かった。

 “本当の”私には、そんな気迫めいたものはないはずだ。

「嘘でしょ。私のアホ毛、ただの毛なんじゃなかったの? この毛がみんなを遠ざけてたの? なんで? なんで満智華、それを教えてくれなかったの?」

「言えるわけないじゃない!」

 満智華が怒鳴った。肩を震わせながら、何かに負けまいとして、姉は言う。

「言えるわけない。あんたのアホ毛が、“恐ろし毛”だなんて」

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