恋愛 | 文字数: 1701 | コメント: 0

男が煙草を止めるとき

 天城幸太郎(あまきこうたろう)は、味気ない煙草に火を点ける。  肺まで入った煙を口から吐きだす。  この瞬間が好きだった。  先ほどまでしていた仕事を一時中断し、屋上で風を浴びながら吸う、このひと時が。  すると、会社用の携帯電話が鳴り、恋を寄せている事務員の木嶋真衣(きしままい)から、先方から電話があった、と知らせてきた。 「すぐ行く」と伝え、まだ半分くらいしか吸っていない煙草を、携帯灰皿で揉み消し、タブレットを2粒奥歯で噛んで、屋上のドアを開けた。    先方との電話は10分少々で話が付き、吸い足りないせいか、また屋上に行こうとすると「先輩!」と声をかけられる。木嶋真衣だ。 「先輩。どこに行くんですか?」 「ちょっと屋上にな」 「ああ、またこれですか」木嶋真衣は、右手で閉じたピースを作り、口に付けたり離したりを数回繰り返した。 「まあな」 「煙草は百害あって一利なしなんですからね」 「いやいや、一利はあるよ。リラックスできる。仕事の片が付き、休憩がてら頭を休めさせるために、外の風を浴びながら煙草を吸う。そしてまた、仕事に取り掛かる。それが僕の仕事のスタイルだし好きな時間だ。あとそれに朝、入社してきて、木嶋さんが淹れてくれるコーヒーを飲んで気合を入れるのも、好きな時間の1つかな」  そう言い残し、屋上へと歩みを進める。  退社時刻になり、残業もなく、USBに今日やってきたことを全て入れ、パソコンを閉じた。  このまま帰路に就くのもいいが、また屋上に上がり、夜の街の景色を一望しながら、煙草に火を点ける。  二口吸い終わると、屋上のドアが開き、木嶋真衣が現れた。 「よう。木嶋さんが屋上に来るって珍しいじゃん」 「初めてです」 「なんでまた?」 「先輩のお気に入りの場所はどんなんだろう、と思って来てみました」 「んで、来てみた感想は?」 「ちょっと肌寒いですね」 「ははは。まあそうだな。でもこれを見てみろよ」  光り輝く街を指差した。 「へー。会社の屋上から、こんな綺麗な景色見れたんですね」  話に夢中になっていて、肝心の煙草が根元まで来ていたため、新しい煙草を取り出し火を点けようとした瞬間、木嶋真衣に煙草を取られた。 「何すんだよ。返せよ」「いやです」「返せって」「いやです」  押問答を繰り返していると、ちょっとした弾みで木嶋真衣を転ばせてしまった。 「ごめん」すぐに手を差し伸べる。  木嶋真衣はその手を握り立ち上がる。  天城は木嶋真衣が立ち上がっても、手を放そうとはしなかった。  木嶋真衣は手を離さない天城の気持ちを分かっていた。 「先輩。先輩の気持ちは十分分かります。だから、1つだけ条件を出していいですか?」 「え?」 「もし先輩が、煙草を止めてくれるなら、毎朝、コーヒー淹れます」 「ん?」急に条件を出され頭が回らなかったが、少し考えて「だって毎朝、淹れてくれるじゃないか」といった。  その言葉と同時に、手が離れる。 「そうゆうことじゃなくて。毎朝、先輩の家で・・・」言葉途中のまま木嶋真衣は振り返り、屋上のドアに向かって走った。  天城は木嶋真衣を追いかけ、腕を掴む。 「なんで自分で言っておいて逃げるんだよ」 「ちょっと恥ずかしくなって、さっきの私が言ったことは忘れて下さい」 「忘れられる訳ないだろ。木嶋さんのことが好きなんだから。それに、毎朝コーヒーを淹れてくれるなら、煙草を止めるよ」そう言うと、ドアを開き近くにあったゴミ箱に、まだ半分くらい残っていた煙草と携帯灰皿を捨て、ライターをゴミ箱の上に置いた。 「え!何してるんですか」 「だって煙草を止めて欲しいんだろ。それに言ってたじゃないか、煙草は百害あって一利なし、と」 「そうですけど・・・」少しの沈黙が流れたあと「分かりました。でも、今回だけは一利もありましたね。こうして付き合うことになったのは煙草のお陰なんですから」  天城はタブレットを2粒奥歯で噛んで、木嶋真衣と共に退社した。

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