旧同タイトル | イベント: 同タイトル | 2020年9月 | 文字数: 1870 | コメント: 0

酸素・算数・サンセット

🗡️ 一番槍

「虫取り網」 「アミノ酸!」 「えー。さんー?」 「いっぱいあるじゃん!」 制服を来た男女歩きながら交互に単語を言い合っています。学校を出てからもう20分程、まだ1度も途切れていません。 君の家までは、あと10歩。 「さん、からなんて思いつかねー。」 「降参する??」 女の子が男の子の顔を覗きこみます。 「なわけないだろ!」 実は、彼は【さん】から始まる言葉が思いつかない訳ではないのです。 ただ、ここで彼が単語を言ってしまえば彼女の家に着いた時、キリがいいからまたあした!となりかねません。 だからこそ悩みに悩んでいる演技をして見せているのです。 「もう、家着いちゃったよ。時間切れー!私の勝ち!」 そう言って彼女は家の入り口に手をかけます。 彼の作戦虚しく、彼女はキリがいいなど気にしないようでした。 「待てって、思いつくから!」 こういう作戦しか思いつかないのも、2人が幼なじみ以上の関係へいけない一つの要因です。 彼はもう少し話したい、と素直に言うことが出来ないのです。 「ほんと負けず嫌いだなー。」 酸素、算数、それからサンセット、彼の頭には【さん】から始まる言葉がいくつも飛び交います。 しかし、どの言葉も口から出ることはありません。 「うーん…」 「もー今日はここまでね!また明日!」 待ちくたびれた彼女はそう言い残すとささっと家の中へ消えてしまいました。 「ちょっ!待っ…」 彼の声が届く間も無くパタン、ガチャドアが閉まる音が聞こえます。 「はあ…」 とぼとぼと二軒先の自分の家へ向かう足取りは重く、いつもの数倍時間をかけて歩きます。 しりとりにも飽きた今日は2字取り、告白を決意して早一週間、もう引き延ばせないくらいには言葉遊びも尽きてきました。 酸素、算数、サンセット。最後に思いついて言えなかった言葉達はしばらく頭から離れてくれそうにありません。 なんせ昨日も寝るまでずっと頭の中はりんご、リング、リンカーン。でした。 「【す】とか【つき】とかが回ってくればいいのに」 ようやく彼女の家から自分の家の中間地点に着き、そろそろスピードを早めようかと思った時 「まだいたの!」 のろのろ歩く彼のそばまで来た彼女が声をかけました。 「これお母さんが美希さんに渡してって」 そう言いカボチャが3個も入った袋を重そうに手渡しました。 「今年もカボチャの時期か。母さん喜ぶわ、サンキュ」 「うん。美希さんのカボチャのタルト楽しみだな〜!」 じゃあねと彼女がすぐに家に向かってしまいます 「…っ酸素!」 なんとかこのチャンスを掴もうと言葉を吐き出しました。 「え?ああ、さっきのか。ってそれ、ん!」 「あ…」 彼は恥ずかしそうに俯き、最悪だ…と呟きます。 さっきまでいくつも頭に浮かんでいたはずの言葉が全て消えてしまったように【さん】から始まる言葉が見つかりません。 「しょうがないなあ。ンスカ!」 「は、え?」 突然出てきた知らない言葉に彼はポカンと口を広げてしまいます。 「ん、から始まる言葉調べたことあるの。」 彼にとってありがたすぎる助け舟です。 とはいえ、さっきの失敗でまだしっかり働かない頭で【スカ】と検索したところでパッと思いつきはしないのでした。 「す、す、」 「チッチッチッチ」 このタイミングで煽ってくる彼女は慌てている彼を相当面白がっているのでしょう、悪戯っ子のような笑顔で彼を見ています。 「はいっ、時間切れ!!」 彼女は腕をクロスさせブッブーと効果音までつけて強調します。 「せっかく【す】回してあげたのに。」 彼女は一瞬だけ笑みが消えた顔で残念そうにそうつぶやくと、すぐに元の笑顔に戻りました。 「え?」 「それじゃ、また私の勝ちってことで!」 彼の疑問の声を無視してそう言い残すと、彼女は家まで小走りで向かい、またパタン、ガチャとドアの中に入っていってしまいました。 彼はしばらくその場で呆然と立ち尽くしました。 あれからどのくらい経ったのか、数秒か、数分なのか、彼には判断できませんでした。 ただただ【す】が飛び交う頭を何度も振り払う時間が過ぎていました。 「酸素、算数、サンセット。酸素、算数、サンセット。」 彼は呪文のように唱えながら残り少ない家までの道を歩きました。 空も真っ赤に染まり、もうすぐ日が暮れそうでした。

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