バーニング・クラシック
私は課題曲を完璧に弾きこなすと静かに鍵盤から手を下ろした。
ピアノの残響が消えると静かな拍手で会場が満たされる。
いつだって私の演奏に送られる拍手は静かなのだ。
コンテストの結果は6位だった。いつも6位とか5位。
砂を噛むような思いで会場を後にしようとしたとき、いきなり声をかけられた。
「おまえのピアノは冷静すぎるんだよ!」
幼なじみの徹平だった。
徹平とは小さなころは本当にいつも一緒に居たが、男女が一緒に遊ばない年頃になると、自然と疎遠になった。
「分かってるわよ」
私の声は、たぶん小さかっただろう。
私は駆け出した。
『おまえのピアノは冷静すぎるんだよ!』
徹平の言葉が頭の中でリフレインするたびムシャクシャする。
分かってるわよ!
でも、どうにもならないのよ!
自分の解釈って何?
豊かな感情表現って何?
私はちゃんと弾いてるじゃない!
気が付くと日付が変わっていた。
でも、どうにも気持ちがおさまらない。
私はこっそり家を抜け出した。
アイツに文句を言ってやる!
徹平の家の前に着くとスマホで呼び出した。
徹平はすぐに玄関に現れた。
徹平が私を手招きする。
「入って来いよ」
言われるまま私は徹平の家に上がった。
家の中は私の記憶と違っていた。
リフォームしたのだろうか?
徹平に着いて行くと立派な防音扉の前に着いた。
決して大きいとは言えないが性能は良さそうな防音室だ。
徹平に続いて防音室に入る。徹平はストラップを首にかけると、テナーサックスを手に取り、アドリブで楽しげなメロディーを吹き出した。
それを聴いていたら、いきなり徹平との幼い日の楽しい思い出が蘇ってきた。
私は、防音室にあったアップライトのピアノに飛びつくと、幼き日に泥団子をこねくり回していたような楽しさで、デタラメに鍵盤を叩き始めていた。紡がれるのは調子っぱずれな楽しげなメロディー。
すると、徹平がいきなり悲しげなメロディーを奏で始めた。
私の頭に浮かんだのは1匹のトカゲ。
ある日、みんなでトカゲを見つけた。みんなでいじくり回していたらトカゲは死んでしまった。死んだトカゲにみんなは興味をなくした。ただ、私だけが悲しくて泣いていた。そんな私を見て、徹平だけがトカゲのお墓を作ってくれた。
私は、悲しくて嬉しかった。
私のピアノは、悲しさの中にも温かみのあるメロディーを奏で始めた。
ところが、徹平のサックスが大音響でいきなりそいつを吹っ飛ばす。そして、予想のつかないメロディーで驚かし続ける。ドキドキする。
そう、クリスマスの朝、サンタさんのプレゼントにドキドキしたみたいな。裏山の探検でドキドキしたみたいな。
私もセオリーなんか無視してドキドキとワクワクを追いかけた。
そこで、徹平が抜けるような高音を長く長く伸ばし始めた。
そうだ、初めてブランコを大きくこげた日。どこまでもどこまでも大きくこいで、あの高い空まで飛んで行けるような気がした。
私の中で何かが弾けた! 私の中で何かが開けた!
「今は疲れ切ってて無理だけどピアノを弾きたいって気持ちがどんどん溢れてくる! むずむずしてくる! ピアノが弾きたくてしょうがない!」
「ジャズ始めるのか?」
「バカ言わないで、私の夢は、今までも、これからも、クラシックよ」
「面白いことになりそうだな。次のコンクール期待してるよ」
「順位は期待しないで。ただ大勢のお客さんの前で弾いて熱い拍手を浴びたいだけだから」
「そりゃいいや、ちょっとまってろ」
徹平は防音室を出て行った。戻ってきた徹平の手には2本のコーク。
このとき一緒に飲んだコークの味は一生の宝物。
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