旧同タイトル | イベント: 同タイトル | 2020年7月 | 文字数: 2055 | コメント: 0

あほ毛を切って

🗡️ 一番槍

ある日、ミーシャのもとに若い女性が一人でやってきました。 ミーシャは純日本人ですが、所謂キラキラネームで漢字では美紗と書きます。 キラキラネームを嫌った彼女はいつしかカタカナで書き、あだ名として受け入れることにしたわけです。 そんなミーシャは、もう5年も〔なんでもや〕をしています。 広いコンクリートの部屋に机と椅子、パソコンだけがポツンと置かれている殺風景な事務所は、まるで空き部屋を無断で使っているかのようです。 そもそも電話依頼がほとんどなので事務所など、ほんとはなくてもいいのです。 ミーシャの仕事は依頼を受け、遂行し、報酬を受け取る至ってシンプルなものでした。 依頼も大抵決まっていて、掃除などの家事代行系、猫探しなどの探し物系、買い物などに同行するお出掛け系の3つに大別できました。 ミーシャはそれぞれを、嫌な仕事、疲れる仕事、めんどくさい仕事、と呼んでいます。 好きではないのに、なぜミーシャはこの仕事を続けているのかというと、これらにカテゴライズされない依頼(ワクワクの仕事)を待ち続けているからなのです。 それは、例えば推理小説に出てくるような事件とか、5億円の行方を探すことなのだ、と彼女は言います。 さて、そこへやってきたのが若い女性でした。 紺のワンピースに黄色のミュールを履いた、真っ白な肌が特徴的な女性です。 その女性はドアを開けるなり突然、「あほ毛を切ってください」と言うのです。 これにはずっとワクワクの仕事を待っていたミーシャもぽかんとしました。 そもそもカテゴライズされないからといって全てがワクワクではないのかもしれない、そうミーシャが考え始めた時、その女性が立ったまま話始めました。 「私の名前は加賀由紀子です。18歳の浪人生です。」 彼女の話があまりにも気持ちがこもり、長かったのでまとめてしまうと、高校三年生の夏にある占い師からそのあほ毛が災いをもたらすと言われた。しかし放置していると、彼氏には振られ、A判定だった大学に落ち(余裕だと思った滑り止めにも)、その上ストレスで太ってしまった。 そこでミーシャの元へ助けを求めにきたというのです。 ミーシャはしばらく放心し、独り言のように呟きました。 「それはお気の毒に。」 「どうにかしてください!!」 ミーシャの独り言にかぶせる勢いで話す彼女の目にはうっすら涙が浮かび、ことの切実さが伺えます。 まず、ミーシャには疑問がありました。 「なぜわざわざ私のところへ?あほ毛なら自分で切ってしまえばいいじゃない。」 そうなのです。あほ毛など自分で鏡に向かい切ってしまえばすむ話です。 しかし彼女は首を振り、こう訴えます。 「何回も切りました。それでも消えてくれないんです。それどころかむしろ悪化しているように感じるんです。」 確かに、彼女の頭のてっぺんには最近切ったであろう伸びかけの髪の毛が密集しています。 「なんでもしてくれるなら、これをなくしてください!」 ミーシャは悩みました。 確かに自分はなんでもやです。でも、魔法使いではありませんし、美容師でもないのです。 それはつまり、あほ毛を切ることはできてもその後は保証できないと言うことです。 ミーシャは考えます。自分に何ができるのかと。 推理物の作品が好きで始めたこの仕事での、初めての難しい依頼でした。 「ごめんなさい。私にはきっとできないわ。美容院に行った方がいいと思うの。」 何分も悩んだ末、ミーシャは断りました。 彼女は心底がっかりし、真っ白な肌がさらに白くなり今にも消えてしまいそうに俯きました。 「そうですか。」 ミーシャは、ペコリと力なく頭を下げてゆっくり出て行く彼女を、きちんと見送ることさえ出来ませんでした。 その夜、ミーシャは眠ることができずにいました。 ずっと待ち望んでいたワクワクの仕事は想像以上に難しく、自分にはどうすることもできなかったからです。 これでは、きっと事件の依頼が来ても満足に遂行できないように思います。 (私はこれから何をすればいいの) ミーシャは今までの全てが無駄だったのかと絶望しました。 でも5年もの間この仕事を続けてきたのです、それはただ難解な依頼を待ち続けているだけではない、なにか他の動機があるはずでした。 今のミーシャにはそれがなんなのか、見当もつかないのです。 * 数ヶ月後、ミーシャのお店には〔寄り添います〕の看板がかけられました。 仕事の内容は、家事代行、探し物、外出の付き添い、そして、話し相手です。 ただの事務所だった無機質な部屋には畳が敷かれ、和風なカフェになりました。 そして厨房でたい焼きを焼く女性の頭には、すこしだけ、ぴょこんと跳ねるあほ毛があります。 ミーシャは嫌だ、疲れる、めんどくさい、と言いながらも嘘偽りない笑顔で、今日もお客さんを迎え入れ、寄り添うのです。

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