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意識の研究

1.天野博士曰く
最近は空港の形も大きく変わった。私が幼かったころは、保安検査場の入り口は一種類しかなかったが、今では「人間用」「アンドロイド用」「機械用」の三種類がある。

アンドロイドはその名の通り人間そっくりなので、私は間違えて彼ら専用の列に並んでしまったことが数度ある。だがどうやら、彼らは人間とは異なる保安検査を受けるらしい。

空港警備は年々厳重になり、その方法も洗練されてきた。アンドロイドが普及し始めたころは、それを悪用した手口も多発したが、今ではもうほとんど聞かない。テロリストとの果てしない攻防は、防御側が勝利を収めつつある。

「気になる娘でもいたの」

保安検査場への入場を待つ間、見るともなしにアンドロイドたちの列を見ていたら、そばにいる妻が険しい顔をしていた。彼女の視線の先には、美しい女性型アンドロイドが立っている。右腕の金属骨格がむき出しでなければ、アンドロイドだとは気づかなかっただろう。

「いや、空港も様変わりしたな、と思って」

ふうん、と妻が疑わしげな声を出す。嫉妬するということは、君はアンドロイドじゃないな。そう言いかけて、口をつぐむ。失言をする機能は人間固有のものだ。


2.橋立さらか曰く
「首筋に痛みが走ったら気絶しろ」と指示された。難しかった。合図は蜂に刺されるくらい痛かった。私は何度も顔をしかめた。そのたびに怒られた。

「緊急停止の時に顔をしかめる人形はいない」

人形とはアンドロイドのことだ。アンドロイドは、合図を受ければ停止する。そのとき何をしていたかは関係ない。歩いていても、走っていても、大事な荷物を抱えていても。緊急停止の合図を聞いたアンドロイドは、即座に機能を止める。例外はない。

だから、人間がアンドロイドのふりをすることは難しい。アンドロイドを装って航空機に乗ることは、ほぼ不可能だ。飛行機に搭乗しようとするアンドロイドは、保安検査場で緊急停止させられる。一度だけではない、二度、三度と止められる。その合図がいつ来るかは知らされていない。合図の後、一秒以上稼働していたら不合格だ。飛行機には乗れない。

だから、人間である私が必要になる。緊急停止させられることのない私が。

首筋のパッチは、緊急停止命令を受信すると私を“刺す”。私は即座に気絶する、というか、そのふりをする。そうすれば、私はアンドロイドにしか見えない。他のこと――アンドロイド同士が交わす秘密の通信――は、体中に張り付けた知性化パッチがうまくやってくれる。

「苦しいか。だが、これができるのはお前だけなのだ」

マスターはそう言って、私の右腕に目をやった。金属の義腕は、私が意識するとそっと指を握った。強く握れば、人の頭蓋さえ砕くことができる。凶器そのもの。本来であれば、航空機の中に持ち込むことは許されない。

「お前は人形になるのだ。保安検査場に入ったその瞬間から、そこを出るまで」

「そこを出たら……?」

マスターはゆっくりと言った。聞き分けのない子供に、そっと言い含めるように。

「戦士になれ。正義のために」

人の心は、2年前、砕けた右腕とともに捨てた。


3.客室乗務員曰く
「テロリストだ!」という叫び声を聞いたとき、自分でも恥ずかしくなるくらい狼狽した。だけど、客室を振り返り、犯人がアンドロイドであることに気づいたとき、これなら大丈夫だと思った。犯人は、通路の真ん中に立ち、金属光沢をもつ右腕で乗客の胸ぐらをつかんで掲げていた。まるで盾にでもするかのように。

すでに飛行機は、関西国際空港へ向けて高度数千メートルの高度を航行している。警備員は同乗しておらず、客室乗務員に武術を修めた者はいない。それでも、アンドロイド相手ならば勝てる。客室乗務員は全員、緊急停止装置を装備しているのだ。

私は訓練通りに動いた。薄いカード型の装置を犯人に向け、ボタンを押した。カード表面の赤いランプが灯り、緊急停止命令が発せられる。そばにいたアンドロイドが3体、即座に首をうなだれた。が、犯人は止まらなかった。

彼女は左腕を乱暴に振って、首筋に貼ったパッチを破り捨て、それから、低い――だが、まだ若さを感じさせる声で言った。

「全員動くな。貴様らは人質だ」

後にアンドロイド史上最悪のハイジャックと呼ばれる事件の、始まりだった。

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