旧祭り | 文字数: 3193 | コメント: 0

顔認証が世界を救う

 その晩、大統領府は緊迫した空気に包まれていた。

「大統領閣下! どうかもう一度、ご再考いただけませんか。このミサイルを撃てば、平和な時代には戻れません。世界征服でもするおつもりですか!」

 側近が言うと、大統領はその大きな首を横に振った。

「違う。この一撃こそが、平和への一歩となるのだ。さぁ、発射シークエンスを始めろ」

 側近がしぶしぶ脇に退き、技術者が前に進み出る。技術者は手に黒光りする石板を持っていた。

「閣下。ミサイル発射の為には、3段階の認証を行う必要があります。まずはパスワード認証」

 大統領が、代々伝わる秘密のフレーズを打ち込む。認証完了。

「次に静脈認証」

 大統領が、石板の上に、大きな右の掌を押し付ける。認証完了。

「そして――――」



 顔認証が世界を救う



 日本、東京都、西東京市、10月、土曜日の夕方。気温は摂氏8度。

「凛。あんた何してるの?」

 コンビニで肉まんを買ってきた御園友里は、ワンルームマンションの玄関口でうずくまる後輩を見つけた。赤いセーターにマフラーを巻いた姿で、迷子のようにしゃがみ込んでいた。

 友里が声をかけると、凛がぱっと顔をあげる。きれいな形の目に、涙がにじんでいた。

「先輩ぃぃぃ」

「ちょっ、なんで泣いてるの? こんな寒いところでさ、部屋入りなよ」

 友里も凛も、このワンルームマンション、シチリアに入居している。友里が404号室で、凛が405号室。会社に入社した時に、会社から借り上げ寮として提供された部屋だ。

「開かないんです。鍵を部屋に置いてきちゃって」

「締め出されたの? そんならあんた、顔パスで入ればいいじゃない」

 マンションシチリアは、セキュリティとして顔認証を取り入れている。オートロックの中に入ろうとする者は全員、顔を登録することが義務付けられており、それをしないでマンションに入れば即、警察に通報される仕組みだ。

 それに付随する機能として、鍵がなくても、顔認証とパスワードが一致すれば鍵が開く機能、いわゆる顔パスも取り付けられている。締め出されたとき等、緊急時用だが、とても重宝する機能だ。

 凛は力なく首を振った。

「認証しないんです」

「呆れた、暗証番号忘れたの?」

「絶対合ってます、だって」

「だって?」

「推しの誕生日ですもん。忘れたりしません」

「あーはいはい」

 吹く風がとても冷たい。こんなところで佇んでいたら、あっという間に凍えてしまう。友里は顔パスでオートロックを開けて、中に入る。それから凛を――マンションのAIに顔を忘れられた哀れな後輩を――自分のゲストとして登録してやった。こうすれば、不審者として通報されることはない。

 エレベーターのボタンを押し、ドアが開くのを待つ。

「じゃあ、顔認証ではじかれてる?」

「そうとしか思えません」

 友里はちらりと凛を見下ろす。服装からすると、コンビニに行ってすぐ帰る、ちょっとした外出のつもりだったのだろう。手にビニール袋を提げている。

「……あんた、ヘアカットした?」

 凛が友里を見上げる。白い肌に切れ長の目の凛は黒髪のストレートが良く似合う。メイクも変えたようだ。

「わかります?」

「あぁ、あんた、顔の再登録しなかったでしょう?」

「そんなポカしません。ほら。ちゃんと髪切ってから再登録しましたし、そもそも髪型が変わったくらいで別人扱いされませんよ」

 といって、凛がスマホを突きつけてきた。凛の自撮りが表示されている。写真の中の凛は、何か良いことがあったのだろうか、無表情を装っているのに、どこか楽しげだ。あざといアホ毛がぴょんと跳ねている。

 友里は写真と実物を見比べる。目の前の凛は、馬鹿にされたことに怒って、赤く膨れている。さっき見た凛は、どんよりと落ち込んで、暗い影さえ引きずっていて、まるで別人のようだった。

 話す間にエレベーターが来て、2人はすぐに4階に上がった。凛がだめもとで、自室のインターホンに暗証番号を打ち込み、カメラに顔を映す。

「認証に失敗しました」と、機械が言う。

 凛がはぁ、と重いため息をつく。さっきの暗い凛に戻ってしまった。

「あのさぁ、凛。コンビニから帰ってきたとき、落ち込んでた?」

「それ聞きます? それ聞いちゃう?」と、凛。「コンサートのチケット取れなくてほんと……あぁ絶望ってこういうことなんだな、って、あぁ……。だから気分変えようと思ってケーキ買いに行ったらこの仕打ち。神さま私何かしました?」

「それじゃない?」

「はい?」

「そうやってめっちゃ落ち込んでたから、別人認定されたんじゃない?」

「先輩、私が応用技術者試験落ちたからってバカにしてます?」

 地雷を踏んだらしい。凛の声がとげとげしくなる。

「た、し、か、に落ちたけど! 顔認証の仕組みくらい知ってますぅ! 人間の目と目の間隔とか、要するに骨格を元に認証をしているわけで、だから、メイクや表情ぐらいじゃ別人扱いはされないって、私だってわかってますぅ」

「まぁまぁ」友里は両手を広げて、凛をなだめた。「眼鏡を使ったら突破できたってケースもあるし。だまされたと思ってやってみ? ほら、笑って? 凛ちゃん笑って?」

「こんな日に笑えるわけないじゃないですか」

「あー、じゃあ、あれでいいから。お客さんが無茶なこと言いだしたけど周りの目があるせいでニッコリ笑うしかないときの顔」

 凛は一瞬ものすごい嫌そうな顔をしたその後に、カメラに向かってものすごく良い笑顔を見せた。

「認証しました」と機械が言う。

「……先輩、今私すごく複雑な気分です」

「わかる。表情が違うだけで別人扱いとか、ないわ」

「でも、ホント助かりました……」とぼとぼと背中を丸めて、凛が自室に入る。

「今日はゆっくりお休み」

 後輩を見送ってから、友里は自分の部屋のインターフォンを眺めやった。

 人には見せられない――でも退職願を叩き付けるときには上司に見せてやりたい――表情でインターフォンに顔を映す。

「認証できません」と機械が言う。

 友里は引きつった笑みを浮かべる。

「ないわー。顔認証、本当にないわー」



 遠く離れた大統領府で、大統領が喚き散らしていた。大きな赤ら顔を、いつも以上に赤くして、鬼のように目を吊り上げて。

「なぜだ! なぜ撃てない!」

 技術者が持つ石板の表面に、くっきりとエラーメッセージが表示されている。

「顔認証に失敗しました」

「この俺の、俺の顔が! わからないというのか? くそっ、もう一度だ、もう一度!」

「ですが、もう4度目です。これ以上やっても」

 うろたえる技術者に向かって、大統領が怒声を浴びせかけようとしたその時だ。

 突如、側近が叫んだ。

「こいつは偽物だ!」

「はあ!? 貴様、何を馬鹿げたことを!」

「馬鹿はお前だ! この顔認証システムは、我が国の技術の粋を集めて製造されたものだ。それが別人だと言っている。こいつは大統領なんかじゃない! 偽物だ! 捕らえろ!」

 大統領が弁明する間もなく、彼の身柄は直ちに拘束された。

 こうして第三次世界大戦は回避された。



 顔認証が世界を救う ――完――

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