さりさえにてまおさく、がんにてさお、とてはならぬ【結】
あの事件から一か月後、10月に入り暑さも少し和らいだ。 事件後は水馬医師の告発により、K群中央病院の地下で患者の虐待が行われていたと報道にあった。 院長室からは例の和紙も見つかり、過去複数人に手紙を書いていたこともわかった。 院長室から行方不明となった患者のカルテが見つかったが。肝心の患者の死体は見つからず、院長も変死を遂げていたためか、不自然なほどに事件は世間から忘れられた。 三坂と私は仕事に戻り、あの事件については話し合っていない。彼は憔悴していたが、芯の強い男だ。すぐに復調するだろう。 大学に戻った私は、縣氏からあずかった虫早村の儀式についての文書の写真を印刷し解読を行っていた。 あの日に起きたことについて、確かな知識が欲しかったのだ。 他の大学からも資料を募り、なんとか解読は進んでいた。 神代文字は結局のところ、メモそのものに神秘性を持たせるもので、儀式については関係がなさそうだ。 ただ、鳥を象徴する文字が使われていた。 資料を揃え、解読を進めると、ある部分から一気に全体像がつかめていた。 コーヒーに手を伸ばし、少し啜る。 「虫早村に、金蚕蟲の覚えあり……かの村では、全ての村人が恩恵をあずかる為に……!?」 背筋を冷たい汗が伝う。……思い違いをしていた。 金蚕蟲についての知識が間違っていたのだ。本来、金蚕蟲の富をもたらすという恩恵は【一つの家】にしか当てはまらない。 K群中央病院と縣氏、知り得ていないが他の者が恩恵があることはない。 ではなぜ、虫早村では村人『達』が恩恵を受けていたのか、縣氏は儀式が続いていたということも知らなかった。 「金蚕蟲に人を捧げる、人は金蚕蟲の宿主となり、宿主は……『さり』への『さえ』となる」 資料をひっくり返す。K群の他の神社や地方の記述に『さり』への記述があった。 「『さり』とは『去る』ものをさし、K群山間部では『鳥』をさす……」 『さり』とは『鳥』を指していた。ならば『さえ』は蚕……『さりさえ』は『鳥の虫』。 「『さりさえ』とは『鳥とその餌』……違ったんだっ! 虫早村では養蚕信仰とは別の信仰があった。『鳥』を信仰していた」 小枝氏は、金蚕蟲を恐れて、身を守るために鳥の像を置いたわけではない。『鳥』そのものを信仰していた!? ならばあの祝詞の意味は? K群の民族信仰資料から、似た祝詞を探し照らし合わせる。 「『がん』は目の前、『がんにてさお』は目の前におります。『とてはならぬ』はそのまま盗ることはゆるさない。『鳥の餌が、御身の眼前にて申し上げます。誰も盗りはしませぬ』……小枝氏は自分を餌と納得していた?」 あの日、院長は何と言った?『やめんか、そいつは自分の意志で、奉仕しているのだ!』そう言った。 「小枝氏は自分が『鳥』に捧げられると理解していた。待てっ、だとすると」 思考が進み、吐きそうになる。縣氏の本を読むと、金蚕蟲の儀式について続きがあった。 そこには、『鳥』と呼ばれる神格が、金蚕蟲の宿主となった人を餌として食べることで、村全体に恩恵を与えるとあった。 富を与えていたのは、金蚕蟲ではなく『鳥』だった。 あの日、宿主として不完全な状態で蟲毒の壺から出された。小枝氏は死に『鳥』の餌は捧げられなかった。 そして、あの院長の死体、あれはまるで『鳥の嘴でついばまれたような』死体ではないか? あの場所には、金蚕蟲を捧げる、見えざる『鳥』がいた。そしてその鳥の前で私達は何をした? 「『とてはならぬ』餌を盗ったのは……三坂っ!」 きっと間違いだと、震える手で、スマフォを鳴らす。 一回、二回とコールがなって、三坂が出る。 微かに車の音がする、運転中なのだろうか? 「なんだ、相馬?」 「あぁ、よかった。三坂。いや、何でもないんだ。私の考えすぎだった」 「なんだよ。まぁ、あんなことがあったばかりだかな……」 「その件だが、縣氏から預かった本の解読が進んだんだ。もし興味があるなら今度話すよ」 「そりゃ、気になるよ。次の土曜日にでも――なっ、うわあああああああああああああああああああああああ」 通話越しの悲鳴。何かが破られる音。 「どうした、三坂、三坂っ!」 ぴよぴよ 「えっ?」 鳥の雛の鳴き声が聞こえ、通話が切れる。 翌日、O県の国道で自動車事故があった、運転していた三谷 幸助の死体はなく、事故車は大きくVの字に裂けていたという。
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