最後かもしれない
この間眼鏡をかけた男の人が自転車を走らせているのを見た。
あれはきっと隣の田中さんのご主人だなと、節子は思った。
田中さんのご主人はなんか神経質そうで、近寄りがたい。挨拶する間もなく、すぐ通り過ぎて行った。
しばらくして、節子が掃除当番の道具を持っていくと、田中さんの奥さんの良美さんは、今ご主人は入院して一か月になるけど、
難病で余命一か月だと言われているという・・・
良美さんは61才くらいだし、ご主人はきっと69才くらいだ。入院前日まで働いていたという。
具合が悪くなったとき、「タクシーは使わない。コロナだったら運転手さんに迷惑がかかる」と言って、自転車で行ったという。節子が見かけたのはその時だったのだろうか?
一人息子の衛くんがよく帰ってきているようだし、良美さんも息子の家族がよく来るので、元気そうに見えた。隣といえども、静かに暮らしていれば中はうかがうこともできかねる。
気にかかりつつも1か月が過ぎたころ、節子が訪ねると、田中さんのご主人は医師の見立て通り、ちょうど一か月で死んだと良美さんは言う。
死んだことを告知せず、身内だけで葬式もすませたと良美さんはつづけた。節子より若いとはいえ、良美さんの頭髪には白髪が一筋ひかった。
庭の植木がのびてきた。30年ほど前に田中さんから紹介された庭師さんは、良心的で丁寧だ。
初めてやってもらったときは40代の働き盛りだったけど、今度会ったらもう80代に近いのでは、と見えた。
目が小さくなった、というのが今回受けた印象だ。歩き方も上半身が先に行き、脚がついていくような感じ、脚立を上るときも脚を踏みしめるように上っていく。
人気の植木屋さんだが、節子のうちがまた頼もうとするときは、もういないかもしれない。
時は流れて、人は老いていく。
きれいにしてくれたことに感謝し、庭師さんを見送りながら、これが最後かもしれないと節子は思
った。
みんな、いつもこれが最後だよとは言わずに、突然去っていくものだから。
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