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三月の彗星

 紅風(べにかぜ)とは昔は錆風(さびかぜ)と呼ばれていたらしい。
 生物の死に絶えた赤い海から運ばれる季節の風は、僕等の最後の砦を腐食させる。

「俺達のシェルターはいつまで持つかなぁ」

「僕等が老衰で死ぬまでよりは早いだろうね。今年の紅風は酷いや、酸化防止剤なんて効果ないよ。α3型のレンチと、ベルファソラ融液を0.5mちょうだい」

「はいよ」

 マスク越しの声は、今朝の朝食のメニューを話すように面白味が無さそうに話す。
 そもそも、朝ごはんも昼ごはんも皆同じ固形のレーションを水で戻したものだけど。
 頭のおかしい戦争と、いくつかの災害の結果、その結果が僕らが暮らす配管の街の惨状だった。
 融液を貴重な真水で薄めてシリンダーに流し込む。ため息をついて50㎝の隙間に入り込んだ相棒に手渡しした。

「少なくとも、今月中には海水の濾過機能は4割死ぬだろうね」

「街長はあと20年は助けを待てるって言っているぞ」

 地上でガスマスクをした政治家の街頭演説はひどく籠っていて、聞きづらい。
 地下や壁の間を縫う僕らの声は、配管越しに遠くまで響くというのに。

「嘘に決まっているでしょ。君も配管工ならわかってるだろうに……」

「俺は、助手だからな」

 隙間から出されてた汚れた手を掴み引く、ガリガリのネズミみたいな相棒がずるずると無気力に出てきた。

「まったく、狭くてマスクもまともにつけれやしない」

「ご苦労様、報告して地上にでようぜ」

「英雄の帰還だね」

「ネズミとモグラの間違いだろ」

 生き物を根絶する赤い海が生み出した化け物はたくさんある。
 雨、霧、風、……まぁいろいろだ。最初に人を錆まみれにした。肺が腐り、人はマスク無しでは出歩けなくなった。
 次に機械が壊れた。金持ちは宙に逃げて、俺たちはシェルターを改造した街で終わりを待っている。
 配管工は紅風から街を守る英雄だったらしい、今となっては心地よい終わりを邪魔するネズミと街の人からは言われる。
 もう、心も錆びついてしまったのだ。それでも、配管工パイプの隙間を進み、一日でも街を延命させる。

「おい、次の指示がもう上がってるぞ」

「へぇ、報酬ももらえてないってのに、次の仕事かよ。今日は休もうぜ」

「そういうなよ。今日中の依頼だ、夜の作業何てよくあることさ」

「……どこだよ」

「星見台」

「うへぇ」

 それは、かつての街の寄る辺、宙へ旅立った人が助けに来ることを知るために建てられた遺物。
 100年経っても赤い雲だけだというのに。

「水の濾過装置がどうかなるってのに、遺物の処理なんて御免だね」

「でも、誰かがしないと、使えなくなる」

「使えないだろ」

「使わないだけさ。ま、お上の命令なんだ。いくしかないさ。それに夜空は嫌いじゃないんだ」

「どうして?」

「黒く澄んでいるから」

 そう言った相棒は、水筒をこっちに投げて、工具を担いだ。

 パイプで繋がれた街を登り、安全帯をひっかけながら隙間を縫って進んでいく。
 壊れたのは、蒸気のパイプだった。よりよって『蒸気』貴重な水を来るはずの無い助けを見るために作られたパイプに繋いでいることがすでに腹が立つ。
 相棒は、するすると工具を並べて木槌でパイプを叩いて故障個所を確認していく。
 時間は深夜、体がしんどい。

「なぁ、他の配管工はどうしてこの星見台を壊さなかったんだろうな?」

「必要だったからじゃない?」

「助けなんかこないぜ。宙へ行った連中も死んだんだ」

「そうかもね。でもそれって重要じゃないんだよ」

 振り向いた相棒は、ライトの明かりではわからないが、多分笑っていた。

「母さんが言ってたんだ。辛くなったら星を見なさいって、そこに私はいるからって」

 パイプに繋がれたハンドルを回すと、配管の中に蒸気が流れ込む。血よりも貴重な真水を白い霧に変えて生き物のように配管をめぐる。
 星見台はドーム状の望遠鏡が備え付けられた、観測機械だった。天井には今現在の空の様子が高画質で表示される。実際の星空を移すプラネタリウムのような施設だった。蒸気の力で機械が稼働し、おそらくは外の望遠鏡が宙を覗いた。天井に星空が映し出される。

「見てよ、オリオン座。今って三月だったんだ。『春』って季節らしいよ」

 相棒の母親は錆にやられてすぐに亡くなったらしい。死んだ人間は星になるのか。
 だったら、俺たちはどんな星になるんだろう。

「三月ね。季節なんて昔はあったんだな」

「流れ星ないかな?」

「願い事でもするのか」

「宙へ行った人達かもよ?」

「来てくれんのかなぁ」

「僕等が生きているうちは無理だろうね。だから僕達きっと星になるのさ。その後、帰ってきた人たちがここで僕等を見つけてくれないとね。僕が思うに、あの辺の星が母さんだと思うんだよね」

「……もうちょい、見てくか」

「そだね」

 この星空の中に、俺達が仲間入りしたとして、まぁ、それは確かにちょっと楽しみだから。
 『星見台』は繋がれるのあろう。三月の星空は黒く澄んでいて、二人で家族を思い出して笑いあったのだった。

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