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面も白いが、尾も白い

 白熊体験という奇妙なアトラクションに乗ったことがある。
 白熊になることができるとかいう、意味不明な企画だった。
 茅野動物園という寂れた動物園に白熊の檻があって、その檻の中にいる白熊は三六〇度どこからどう見ても白熊に見えるのだが、実は作り物なのだ。
 アトラクションは、その白熊になって、来園客を眺めることができるというものだった。
 参加する気などさらさらなかったのだが、当時中学生だった私は、父に促されるまま、インストラクターから受け取ったゴーグルをかぶった。
 目を開けたとたん、檻を隔てた先に母親の姿が見えたが、彼女は目の前の白熊に私が乗り移っていることに気づいていなかった。
 手を振ろうかと思ったが、白熊は四つん這いになったまま手を振れるほど器用な動物ではない。
 とりあえず首を振った私を、母は漫然と見ていた。人間が動物を観るときの目で。
 それからというもの、私は土曜日になるたびに動物園へ通うようになった。
 開園三十分前から入口に並び、入園するや否や白熊体験のアトラクションへ向かう奇妙な中学生。それが当時の私だった。
 白熊になって、次の人に交代するまでの十分間、私は動物の気分、いや、鑑賞される動物の気分を味わった。
 幼い子供たちはにこにこと笑っており、それに面白みはない。
 私が夢中になって観察したのは、大人たちの視線だ。

 人が動物を観るときの目。

 その冷たさは、実際に体験してみないとわからない。
 白熊体験をして以来、私は人間を信じられるようになった。
 人間の大多数は、他の人々を動物ではなく、人として眺めている。
 ただ時折、数百人に一人、そのようには見ない個体がいる。
 他の人たちがなぜその視線に気づかないのかわからない。
 あの凍った視線、他人を動物として観ている目に。

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