旧祭り | 文字数: 743 | コメント: 0

あの兎小屋

 父である清がその家を建てたのは、もしくは建て替えたのは昭和30年代の初めだったと思う。
場所は東京郊外の、尾野崎という名字の人が多い地区であった。
 立て替えているあいだ、伊津子は父に連れられてその家に来た。その家にはグミもあったしタワラグミもあった。父がとってくれたタワラグミは少し苦かった。
 父の建てた家は当時としてはモダンなものであったろう。平屋ではあったが、玄関は西に向いていて洋風の外開きであった。子どもは伊津子の上に3人もいて、妻のみちよと6人で暮らすというのに、北向きの台所と6畳のリビングに8畳の寝室、6畳の書斎、東と南側には廊下があるという作りであった。
 書斎に作られた作り付けの本棚には父の蔵書でいっぱいであったが、その部屋には父の机が置かれていたが、父がその机に座っているのは伊津子の記憶にはない。高校教師である父はいつもリビングの掘りごたつ用のテーブルで採点などの仕事をした。
 兄たちも姉も運動がよくできたが、末の伊津子だけは神様のいたずらか魔女の一撃でもあったのか、のろまで運動が苦手であった。

 母のみちよの末弟である丈三おじさんが彗星のごとく居候にくると、書斎は兄二人と丈三叔父の寝間となっていた。
 廊下は伊津子が中学生頃は勉強机が置かれていたし、母のミシンはずっと南の廊下に置かれて、母はよくミシンを踏んでは洋服を作っていた。
 昭和45年ころ離れの2階建ての家を作るまでは、伊津子と姉は父と母と4人で寝ていたのであろう。

 父清は平成6年3月にその家で亡くなった。翌日の夜は父清と母みちよと川の字になって寝た。
父と母を独り占めできた夜に伊津子は涙を流した。
 父の造ったその家はもちろん、もうない。


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